2018年5月17日木曜日

生ゴミ→微生物のごはん。

工房の壁沿いに小さな畑を作ってもらったのは5年前。

ブロックと、漬物石を使って。

作ってくれたのは西宮に住む家を自分で建てたワンちゃんという友人。

漬物石は、ここにあったもの。

ここは元々、戦後から数十年は漬物やだったらしい。

だから、この畑の土には、戦後から続く漬物系列の菌が住んでいる。

今までで一番でかく育ったのは人参かな。

青森の苫米地さんという、六ケ所村再処理工場の建設に異を唱える農家さんのところから来た人参を、すぐには食べきれないしうちには冷蔵庫がないので、土にさしておいたら、ぐんぐん育って、花を咲かせて、種まで採れた◎

さすが、意志のはっきりした人のところにいた人参は、生命力が強いというか、生きる意志が明確というか。

あと、その後すごくインパクトがあったのは、鬱金。

鬱金は、いつ、どこから来たのかわからない。

最初は何かもわからなかったが、きれいな花を咲かせて、それでわかった。

秋ウコン。

根はずっと居るので、今年も葉を広げてくるのかしら。

そしていまは、野生の大根と、ワイルドストロベリーと、スペアミントと、野ばらなどがいる。










































そして2年前から、「バクテリア・デ・キエーロ」というコンポストが来た。

サイトに作り方が載っていたから、作ろうとも思ったけど、まずは作っているものに触れたいと思って、取り寄せてみた。

http://www.kiero.jp/




























棒をさしているのは「この前うめたのは、ここだよ」というサイン。

この下で、微生物たちが、僕達が食べたものの残りを食べている。

そう。

食べたあとのものを「生ゴミ」と呼ばなくなった。

江戸時代までは、ゴミという言葉はなかったらしいですね。

循環するという意識が前提にあった暮らし。

そういう意識が土台にあった暮らし。

野菜や野草を刻んだりしながら、「これはあいつら食べるかな」とか考える。

流しにホーローをひとつ置いておいて、皮やヘタや腐ったところを入れておく。

数日入れて、発酵と腐敗を少し進めてからキエーロに入れたほうが、微生物たちにとっては食べやすい。

少ししっとりさせてあると、乾燥しているより、食べやすい。

入れる時は、移植ゴテ(シャベル)で細かく刻んでおいたり、少し水をかけたほうが、食べやすい。

とかなんとか。

微生物と共に生きてるんだなーという実感を増やすには、コンポストはおすすめです。

僕の中では、味噌づくり、漬物づくりとセットで、微生物のごはんづくりをすることが、バランスとしてもとても素敵と思っています。



































2018年5月12日土曜日

河原はエッジ。ギフトが眠るレインボーゾーン。

今日は、町で出来るファーマー的生活の続き。

ゲリラガーデニングという言葉がある。

僕はこの言葉と概念が好き。

土地については、所有、という概念が染み付いている気がするけど、
本来は人間のものではないから、その土地を切ったり売ったりしようとしても、
どこかに「はみでる部分」とか「あいまいな部分」が出来る。

そういうところを「エッジ」とか「グレーゾーン」とか「レインボーゾーン」と呼ぶ。

ゼロ円地帯と呼ぶ人もいるね。坂口恭平くんとか。

河原はそういう感じがすごくする。

工房から徒歩5分の淀川。

そもそもこの川、過去は氾濫しまくっていたので、地形自体もよく変わる。

過去の地図を何枚か持っているけど、川の形も変わっているし、一時期は、うちの工房の当りまで水没しているし、そうでなくても多くの時は湿地か田んぼ。

だから、中津のあたりは、地権、という概念が通じにくい土地なんだろうな。

で、河原。

ここにはテントがいくつか張ってある。

河原を歩いていると、明らかに誰かが世話しているっぽい生態系が散見される。

かっこよく言うと、コンパニオンプランツ。

果樹に、多年草に、蔓性の植物に、ハーブに、ちょっとした野菜。

そして小屋。

なんて贅沢な暮らし。

食べられる庭、エディブルガーデン。

金銭を伴わない、ギフトエコロジー。

そういう、アーバンパーマカルチャーのパイセン達の姿に触れているうちに、
河原が餌場として見えてきた。

今年も、よもぎを随分摘んできた。

よもぎを摘むことを4年続けてみてわかったのは、
昨年摘んだ場所のよもぎが、とてもたくましく育っているということ。

よもぎを摘んで活用することで、自分たちの生命がたくましくなり、
よもぎコミュニティ自体も、摘まれることで(乱獲はNGだろうけど)たくましくなる。

今年は、
よもぎ染め、
よもぎ足湯、
よもぎ風呂、
よもぎジェノベーゼ、
よもぎお焼き、
などを楽しんでいる。

そしていまは、毎日コツコツ、天日干し中。

からっからに干したら、枕に入れる。

よもぎの枕は虫よけになる。

これを、今年の夏の枕にしようと画策中。



2018年5月11日金曜日

元はファーム、今は草叢。都会の農耕と狩猟採取。

5月5日立夏。

マルシェの間、工房斜め裏の畑に、行ったり来たりを4回。

ここは元々、コミュニティファーム。


主に近所の人たちが小さな一畝づつを借りていた。

その前は、ここは長屋だった。

でも、僕がここに移ってくる直前、今から7年前くらいに放火にあって長屋全焼。

今、長屋は壊したら、建築基準法などの影響で、再び建てられない。

それもあって、この辺でも、いったん古い建物を壊したら、駐車場にしたり、ビルやマンションやコンビニにしたりして、少しずつ雰囲気が変わってきている。

実際、十三の駅前の古い建物は放火にあって、その後、「復興を支えます」という看板が立ったけど、その看板に載っている企業の名前は、ほぼ全部、外様大名(多国籍企業)ばかりだった。

で、元々の建物に入っていたテナントは立ち退いて、なんだか新しい、地元っぽくないお店がやってきた。

クラッシュ&ビルド、という言葉を思い出す。

人為的に災害を起こしたり、人為的に内戦を起こして、そこに後から入って復興に関わって、そのままそこに居ついて、経済を動かす力を得て、時には政権もとる。

これは世界中で起きている、侵略とか進出を行う上での典型的手法。

そんなことになったらやだなーと思ってたら、畑になった。

なんか、屈しない人達って感じで、僕はとても好きになって、(たぶんそんなこと意識してないと思うけど、そこも含めてとても好きになって)、絶対この畑を借りよう、と思った。

賃料が高くても安くても、とにかく、その取り組みと心意気に、僕からもお金とエネルギーを乗せたいと思った。

で、僕はオープンからクローズまで、4年間くらい畑をしていた。

藍を育てて染めたり茶にしたり、大豆を育てて味噌にしたり、麦や人参やトマトやキュウリやオクラを蒔いて、育てて、食べたりしてた。

育てるって言っても、ほとんど観察してただけだったけど。

虫に食べられたり、周りの草に負けそうになっても、何が起きても基本的には「このあとどうするのか、見てみたい」となって、芽が出てから種をこぼすまでを観察するのが好きだった。

もちろん、生命的本能だと思うけど「今、こいつを食べたい」と思う時は、摘んで、食べた。

後半はハーブだらけだった。

僕の借りている畝には、ヤロー、ホーリーバジル、フェンネル、などなどが勢力を広げていった。

小さなコミュニティファームだったけど、始まったら、蜻蛉も飛ぶようになったし、蜂もたくさんの種類がいたし、てんとう虫や地を這う虫も多種多様。

虫や鳥が、それぞれ数十種類、数百種類来るようになったと聞いた。

最初はどっから来たんだ!?と思ってたけど、、

あとからしみじみ思ったのは、みんな、待ってたんだなーってこと。

人間がアスファルトを剥がして、土の上に立つようになることを、ただ待っている。

彼らは絶滅したんじゃなくて、待ってたんだな、とか、勝手なことを思うようになった。

今もその気持ちは消えてない。

絶滅したと言われている生き物たちは、彼らが生きるのにいい感じの環境が戻ってきたら、また帰ってくるんじゃね?と思ったりしている。

だから、不在を嘆くだけでなく、再会を祝える場を作っていきたいなと思ったりする。

人が蒔いた種から育った植物が落としたこぼれ種からも、この間、色々出てきた。

勢力広げまくったのは大葉とパクチー。

彼らはもう完全に野生化してるし、味もちょっとずつ変わってきている。

何かが混ざっているね。なんだろう。

あと人参も、こぼれたり、あと、たぶん猫などの獣の毛に付いて広がったんだろうけど、飛び地的に広がっていったし、その人参たちが先祖返りしたっぽい感じで、人参ぽい何か、も増えた。

そんな感じで、小さなファームだったけど、僕にとっては充分、箱庭療法的に、癒されたし、植物や、土上や土中の虫、動物達と触れあう時間の継続に、リハビリしてもらっている感があった。

しかし、、借り手が思うように増えず、経営難から、このコミュニティファームは一昨年の夏で閉まってしまった。

経営をしていた方からの最後のメールは「賃料は来月まででいいです。その後は、この場所が残っている間、今まで使ってもらった方は、自由に利用してください。」

というものだった。

僕としては、この畑を使って収穫祭とか、ブッフェとか、企画できたらと思っていたけど、ちょっと間に合わなかったという感じで無念さもある。

そして、この無念さをしっかり味わって、これからもこういう取り組みが行われるように、次につなげていきたいなと思った。

そしてその一昨年、秋にはほとんど誰も来なくなった。

冬には本当に誰も来なくなった。

なんでそれを知っているかというと、この畑の向かいに住んでいるおばあ達が「草刈りしてない状態だから虫がすごくたくさん来てて、家の中にも入ってくるからちょっと困っている」という声を聞いて、ちょくちょく草刈りしにくるようになったから。

このファーム、入るのに鍵がいるから、誰でもは入れない。

誰でも入れないけど虫はいる。

その声を聞いてしまったら無視はできない、ってことで、善意というよりは、気になってしょうがないから、その秋以降、自分の育ててきた畝でハーブを育てたりしながら、たまに草刈りしては、野生化している野菜や野草を摘んで帰るようになった。

ぼうぼうと生え盛る草原のような元畑に入って草を刈るのは複雑な気分。

自然に帰ろうとしている流れに逆らうかのように一人鎌を振っている。

自然回帰に抵抗する最後の農民、みたいな気分にもなった。

このファームがクローズしてから、野生化する自然とひとり通う自分、という関係性になってから、学びや気付きがよりいっそう深まった。

人為的、と、自然、ということについて色々思うようになったし、
近所のオバアたちの気持ちと、新たな生態系を営もうとしている虫や植物の動き。

そして、いまだにここを餌場と思っている自分。

自分も含めて生態系。

自分の意志や本能に敏感でないと、このすさまじいまでの動植物たちの「繁殖する」という意志と釣り合いが取れない気がしてきたし、「借りる」とか「規約がある」とか「囲われている」という中にいる間に受け身になって停止していったっぽい、思考や感性の一部が、くすぐられたり、揺さぶられたりしているような気がする。

間違いなく今は「コミュニティファーム」ではない、名のない、何の意味付けもないこの場所に居ると、なんでここに出入りしてんの?と常に聞かれているような感覚になる。

この、モヤっとした感じが、理屈抜きにここに立つとワクワクする、という本能的な感覚が好きで、これからもここに意識がログインした状態で日々を過ごすことになるんだろうな。

そんなこんなで、なんだかここでただ栽培をするという気持ちにはなれなくなっていって、どちらかというと、農耕ではなく狩猟採取をメインにするように、ここに出入りするようになって2年がたった。

近所のおばあの声を聞いて草を刈ることはやめたくない。

コミュニティファームとして存続していた時は、たぶん多くの人にとってここは素敵な場所だったのに、終わりの方のイメージが「ほったらかしになっていて、家にも虫が入ってきて迷惑だった」になってしまうのはせつなすぎる。

こういう取り組みは、試行錯誤の連続だと思う。

成功も失敗もないし、やったらやっただけ、すごいことだと思う。

いいチャレンジだったね、という形で幕を閉じられたら、また次のチャレンジが生まれる可能性が増えると思う。

僕は、何の責任も気負いもなく、ただ、そういう幕の閉じられ方を個人的に望んでいるから、その望みを現実にするためにも、草刈りくらいはたまにやりたいなと思う。

あと、ここにいると、おばあが話しかけやすいみたいで、この前もスペアミントとパクチーと野ばらを山分けした。

あとは、町の中で出来る農耕と狩猟採取について、実際に鎌を持って、土の上に立って、草や虫と向き合いながら、その土の上で悩みたいし、問たいし、応じたいし、気づきと経験を得ていきたい。

ということで5月5日、土用が開けたということもあったし、1ヶ月ここを離れていたこともあって、マルシェ中の多くの時間を、この草原で過ごした。

お招きしたい友達がたくさん来たから、ひとりひとり連れて、一緒に野草や元野菜を摘んだり、草刈りしたり、野ばらやアロエを植え替えたり、していた。

パクチーを根ごと摘んで、マルシェの会場の向かいにバケツに水を張って置いてみた。

こういうのをギフトエコロジーの実感っていうんだなと思った。

自然は、見返りを求めるどころか、「これをあげる」とか「貢献する」というところもなく、淡々と、何かをもらったり、あげたりしている。

そして、その輪の中に、自分たちも存在している。

食べていいし、その糞尿を戻してもいい。

食べて残ったものは、コンポストに入れて、分解されたらその土で野草や野菜を育てる。

お互いが生きていることがお互いが生きることに自然に貢献しあっているっぽい感じ。

畑の中にどっさりいたパクチー、ぎゅうぎゅうだったところや葉っぱに栄養がいかなくなりかけているのを中心に、けっこうどっさり摘んできた。

それを、マルシェに来たみんなにおすそ分け。





出店していた「むすび食堂」のたかみちゃんは、このパクチーを早速使って定食を作ってくれた。

こういう柔軟さ大好き。

既存のレシピにとらわれず、その場にあるものを大事に、即興でごはんを作る。

大正時代までの料理本には、グラムや時間などのレシピはなかったらしい。

レシピを作る料理家は人気を得るし、彼らに従うファンは増やすけど、自分で感じて考えて、その場にあるものでごはんを作れる人を増やすことになるのだろうかという問いが再来する。

なにはともあれ、ここの空気を吸って、ここにも飛来する虫が糞をする中で育った、徒歩30秒の草叢からの野草をいただけることは有り難い事。







根ごと摘んできた野草や香草、苗ごと持っていって、植え替えてくれた人もいるだろうな。

そうやって種が運ばれていく。

都会に居ても、そこは自然界の一部。

花壇、プランター、コンポスト、動植物たちとのつながり方について、工夫できる余地がたくさんある。

エッジ、隙間、名のつかぬ、曖昧なエリア。

ここをどうやって活かせるか。

楽しく、クリエイティブに、いろんなことが出来るはず。

トンチとユーモアと、近所との関係を大切にする気持ちに水をやりながら、色々できるはず。

近所の中にはもちろん、猫やハクビシンやカラスや蜂や蜻蛉や蚯蚓も、腸内細菌も、色々いますから楽しいですよね。

#OsakaUrbanPermaculture






2018年5月10日木曜日

放射性物質と共に生きる今、について


放射性物質の放つ強いエネルギー線は、細胞組織を破壊する力を持つ。

あらゆる物質が放つ電気と磁気を帯びたエネルギー線(総称して電磁線)を測る単位はev(エレクトロンボルト)。

人体を構成する物質の放つ電磁線は平均して4ev7ev

一方、ウラニウムに中性子線が当たる事によって起こる核分裂反応によって生まれるセシウム137Ce137)の放つ電磁線(放射線)のエネルギーは、約66ev

セシウムを体内に取り込むことで、人体を形成する細胞間でやりとりされているエネルギー量の数十万倍のインパクトのエネルギー線が照射され続けることになる。


そのインパクトが徐々に収まって、私たちの肉体が、細胞組織を破壊することなくそのエネルギーを受け取れるようになるまで、寿命がいくつあっても足りないくらい時間がかかる。

人体の中に取り込まれた放射性物質と呼ばれる微小鉱物達は、血中で、または内臓の中で、このような強いエネルギー線を放ちながら、分子レベルでインパクトを与えている。

たとえば分子を構成する陽子(+)と中性子(±)の周囲を回る自由電子(-)は、これら人工放射線を浴びることで吹き飛んでいく。

放射線を浴びた分子は、自由電子があることで保たれていたマイナスイオン状態からバランスを崩し、電位が不安定な状態のまま、周囲を急速に酸化させていく。

このような状態を、被ばくの人体に与える影響についての研究の世界では「フリーラジカル状態」と呼んでいる。

酸化は、短期においては「疲労」として実感できるし、長期においては「老い」の促進とも関連してくる。

疲れやすくなったり、病気に掛かりやすくなったり、動くことが億劫になったり、老いが進んだり、その人ごとの体質やライフスタイルによって、様々な形で影響が出てくる可能性がある。

放射性物質や、化学物質、抗生物質といった自然界に存在する物質とは異なった電位バランスで存在する物質が体内に取り込まれると、細胞組織の酸化を促進する影響を及ぼす。

こういった物質を解毒、分解、排泄する際に発生する活性酸素も、身体を構成する組織を急速に酸化させる要因になる。

セシウムは、ミネラルとしての性質がカリウムと似ているので、カリウムが溶け込みやすい血中に広がっていく。

強い放射線を放ちながら、血中の分子に働きかけ、フリーラジカル状態の物質を増やし続けながら、血液の酸化を促していく。

そして、血流に滞りがある箇所や、弱っている箇所、負担がかかっている箇所に、何らかの影響を及ぼしていく。

腎臓に、肝臓に、心臓に、脳に、甲状腺に、生殖機能に、遺伝機能に、免疫系に、様々な影響が及ぼされる可能性が認められている。

アメリカの研究機関や各種の学会の中では、放射性物質の内部被ばくによる影響を総称して「不定形性症候群」と呼んでいる。

形を定めることのできない、色々なことがおこっている。

ひとりひとりのライフスタイル、放射性物質以外に摂取しているもののバランス、内臓の状態などと結びつき、絡み合って、様々な影響が姿を現してくる。

放射性物質が大量に増えた世界の中では、今まで以上に酸化還元が必要だ。

酸化を還元するもの。

抗酸化作用のあるもの。

抗酸化ミネラル、アミノ酸、酵素、食物繊維、各種の善玉微生物やカビやビタミンを、もっと。

そして、酸化を促進するような物質の摂取を控え、酸化を促進するようなライフスタイルを改める事も必要になってくる。

セシウムを採っているその量が増えたなら、それを踏まえてバランスを取り直さなければ、今まで通りにはいかないだろう。

冷えやすくなる。

集中力が続かなくなる。

立っていられなくなる。

座っていられなくなる。

世界で最もたくさんの被ばく者を診てきたと言われる肥田舜太郎医師は、相談に来た患者さんが時間が経つに椅子に座っていられなくなり、最後は床につっぷしてしまうという事が相次いだと話している。

チェルノブイリ原発事故の後、近隣の住民の中に「被ばくしている状態で白砂糖を取ることで、放射線の影響が促進されるので、控えるように」という情報が流れた。

精白され、ミネラルの抜かれた白砂糖の持つ、体を冷やす力、酸化を促す力と放射性物質の力が組み合わさることで、その影響力が高まっていく。

精製食品全般、化学物質、抗生物質も、同様の力を持つ。

これらの力と放射性物質の持つ力が組み合わさることで、それぞれの働きがさらに促進される、このような効果を「カクテル効果」と呼ぶ。

私たちは、前よりセシウムを食べているし、吸っているし、飲んでいる。

そこにさらに白砂糖、化学物質、抗生物質を今まで通りに摂取していたら、血液はよりいっそう酸化し、体は冷え、気だるく重い状態になってしまう可能性がある。

いつまで続くかわからない福島第一原発事故後の収束作業に従事する人達の数は20172月の時点でのべ56万人(被ばく労働相談センター調べ)。

その数は、増え続けていく。

養生は、求められ続けていく。

ウラン核分裂によって産まれた、新しい鉱物達の激しい産声の響く新しい世界の中、せめて命の本能である「生存したい」という思いに対して、誠実に貢献する養生食を作り、分け合うことを続けたいと思う。

2018年5月9日水曜日

風フェスを改めて振り返ってみる

4月21日〜22日に新潟の阿賀野で行われた保養イベント「風フェス」の振り返りが途中だったので、そこに戻りますね。

振り返ることってとても大事だと思います。

消化すること。

受け止めること。

血肉にすること。

味わった感情を、リリースすること。

リリースした後に「そのような感情を抱いたということは、自分はよっぽどこのことを大事だと思っているんだな」と、自分が大事にしていることに気づく。

体験を、消費していくのではなく、消化して、栄養にしていく。

そうやって、過去を今の滋養に変えていく。

前に前にと生きていく事で、自分が本当はとっても心が動いていたのに、そのことを無視して進んでいくことで、ブレーキをかけたい自分とアクセルを踏みたい自分が葛藤する。

立ち止まって受け止めてほしい感情と、焦って前に進みたい自分は、本当は同じだったりする。

双方、不安を抱いているだけだったりする。

双方、大事にしたいものは同じだったりする。

呼吸を合わせて、受け止めて、丁寧に対処していく。

繰り返す。

反復する。

何度も聞く。

それでも前には進める。

直線的ではなく、円環を描くように。

やってみて、味わって、受け止める。

すると自然に前に足が出る。

自然に、やってみたいと思うことを、やってみる。

やってみて、味わって、受け止める。

そこで生まれる気づきが、円環を螺旋に変えていく。

そうやって、自然に、前に進む。

直線的ではなく、螺旋的に。

風フェスは今回で13回目。

僕の参加は4回目。

元々、主催している真由美さんとヤス君とは、友達だった。

数年前の夏至に、沖縄で小さな集いを持った。

名付けて「おやすみまつり」。

僕から見て「この人はガンガン動いているなー。」と思う人や「この人はいつも人のために動いてるなー。」と思う人を集めて、強制的に「止める」ということと「人に動いてもらう」ということを体験する時間を作ってみた。

夏至は太陽のエネルギーが極まって転じる時。

ボールは投げ上げられてから、ピークに至って落ちてくる時に、一瞬、止まる。

時代の転換点にいる僕たちは、時代の変化に関わる動きをしていると思われる人達は、たまに止まったほうがいい。

そう思って、招いた仲間のうちの2人が、真由美さんとヤス君だった。

誘ってよかったと、本当に思った。

毎回のごはんを作ってもらうこと。

ネットもつながらないし、仕事道具もないから、とにかく休むしかない、という環境。

リトリートという取り組みは広まってきているけど、けっこうそのプログラムの中には「すること」が詰まっていたりする事も少なくないと感じる。

「すること」を外すことは、難しいよね。

保養の取り組みの中でも、数泊するプログラムの中に、イベントや催しを詰めてしまう場合がある。

ゆっくりしに来た参加者が、逆に疲れちゃう、みたいな。

何もすることが無い時に、シンプルに、呼吸することや、「ここにいること」につながるスペースが生まれるんだと思う。

なにかをすることで存在価値を得るのではなく、ただ居るだけで存在を認められる関係性。

何かをすると褒められたり、何かをしないとそこに居てはいけないのではないかと感じてしまう、不思議な関係性が世界に広がっている。

うまくできると存在価値が上がり、うまく出来ないと存在価値が下がるという幻想。

やってることを評価し合うことが、行き過ぎて、止まれなくなっている。

止まることは勇気がいる。

だからこそ、みんなを誘って止まってみた。

おかげで、二人の思っていること、感じてきたことを、たくさん聞けた。

止まると、動きが見える。

止まることで、相手が見える。

相手の振動が聞こえる。

自分が動きながら、人の動きを捉えるのは、遊園地のコーヒーカップに乗りながら隣のコーヒーカップを観察するようなものかもしれないなと思う。

止まって、耳を澄ませること、もっとしたいなと、あの夏至にとても強く思った。

保養の主催者をやっていると、人の気持ちを受け止めることばかりで、自分の気持ちを受け止めてもらう機会が少なくなるってことが起こりやすいのかもしれないなと思った。

保養だけじゃないね。

活動家の孤独、政治家の孤独、についても同じことが言えるかもしれない。

なので、二人を誘って一緒にゆっくりする時間を取ることを、その後も続けることにした。

で、その延長線上に今がある。

僕は海旅キャンプという保養活動の主催を仲間とやっている。

だからと言って、他の保養に関わってはいけないということはないし、むしろ、関わり合って、交流し合って、話を聞き合う事は、今後長い目で日本の保養文化を捉えた時に、すごく大事なことなんじゃないかなと思ったりする。

実際、海旅キャンプにも、三重や岐阜や愛知で保養活動に関わっている人が来てくれているし。

そう。

とにかく僕は、保養活動をやっている身だからこそ聞けること、支えられる事があると思った。

風フェスに関わろうと思った理由の一番は、とにかく二人の心に耳を傾ける存在としてそこにいたかったから。

何をしたいというよりも、そのような存在としてそこに在りたいと思った。

そして、その土台の上で、現場に立って出来ることをしたいと思った。

経験を積みたいし、人としての幅を広げたいし、心身を鍛えたいとも思ったし、色んな人と出会って学びを得たいと思った。

・・・なぜそんなことを長々と書いているかと言うと、今回の、13回目の風フェスは今まで一番参加者が少なかったということについて書きたかったから。

そのことをネガティブにも取れるけど、僕はとても有意義な時間を得ることが出来たと思っている。

スタッフ同志がゆっくり話せたり、食事のレシピや、「なぜそれを作っているか」を聞き合う時間が取れたし、スタッフと参加者とドクターと看護師が垣根を越えて語り合う茶会も開けた。

大学生と小一時間じっくり話す時間が取れたのも、そのおかげがあると思う。

12って数字は、平面的な円環を等分にするのに美しい数字。時計みたいに。

13は12+1。円環を螺旋化するためのプラスワン。

今までを振り返り、今を味わい、今ここにいるお互いと繋がり合う時間。

そういう時間が持てたことの有り難さは、これから先の新たな円環を支える血肉になると思う。

風フェスの翌々日には、スタッフ同志の慰労と振り返りも兼ねて、茜染めをしながら1日を過ごした。

その翌日は「聞く」というテーマの対話のワークショップに、風フェスのスタッフもたくさん参加してくれた。

少しずつ、保養活動と日常の境界線がなくなり、保養活動に関わっている人とそうでない人の垣根がなくなっていけばいいな。

そんな兆しを感じる時間でした。

来月、間もなく夏至ですね。

極まって転じる。

止まること。

難しければ歩くこと、かな。

少し止まる=歩く。

歩く速度で。

大切なことはカタツムリの速さで進む。


写真は、風フェスに参加するとは夢にも思っていなかった頃の、新潟での茜染めWSの様子。思えばこの頃から、お互いの存在を受け止め合う関係が始まっていたんだな。

2018年5月8日火曜日

産着染め。習うより慣れてリサイクル。


春の土用が開けて、5月5日子ども日は産着を染めた。

胎内の子に対しては「これから生まれてくる」って感覚よりも、「今ここにいる」っていう感覚のほうが強い。

もちろんこれから子宮を出て、産道を通って、こそ「生まれてくる」ということになるんだろうけど、「すでにここにいるじゃん」と思うし、僕は僕なりに会話を始めている。

こちらから話しかけるということもあるけど、(結構日常的にしている)
話しかけられているというか、何かエネルギーを向けられている、エネルギーを送られていることを感じることのほうが多い。

あと、この子に状況を創られているという感じもある。

自分がいる世界がどんなだといいか、とか、子宮から出てきた後の世界がどんな感じだといいか、というのを分かっていて、その状況を作るために僕が動かされている感じがある。

女王蜂の願いに忠実に動く蜜蜂みたいな感覚になってきた。

そういう、心地よさのある、「動かされている感」とか「鍛えられている感」がある。

心地よさのある、っていうところはポイント。

自己犠牲とは、そこが違う。

生命の為の貢献、健やかさや、安全や、安心のある世界の為の、心地よさが伴う貢献。

そういう爽快さがありつつ、日々、精神的にも肉体的にもガチで筋肉痛になりながら、汗をかいている感じがある。

今まで乗り越えることを先延ばしにしていたハードルを越えさせられてたりもするかな。

時代を切り開くのは次の世代だと思っているし、次の世代が望むことを嗅ぎ取って、そこに貢献することは、ミスティックで未知で意味不明で不可思議なところもあるけど、嫌いじゃないワークだなと思っている。

で、今までも胎内で居る時用にと思って腹帯を染めたり、マタニティ服を染めたりしてきたけど、子宮から出てきた後に纏う服をしっかり染めたのは今回が初かも。


オーダーメイドのときのように、着る相手に意識を向けて、見えてくるもの、感覚の中に湧いてくるものにつながって手を動かしていく。

見えたのは、漆黒のような深い藍色の空に光る太い稲妻。

で、こんな風に染めてみた。









男か女かわからないけど、薄暗い空に光る稲妻みたいなエネルギーを、僕はこの子から感じ取っているんだな。ということが、染めをしてみてわかった。

で、5月6日に、また2着染めた。

夏は汗かきまくるだろうし、うんこやら何やらにまみれることになるだろうから、着替えはたくさんあったほうがいいよね。

ということで、友達からもらったお下がりの産着を染めた。

赤と黄色。

下を黄色にしたのは、うんちと混ざってもきれいかなと思ったから。

そして袖口には少し藍を入れた。

これは袖から邪が入らないように、虫除けと魔除けの意味を込めて。

やってて、アイヌのおばあが子どもや孫の為に袖口に御守の意味を込めて刺繍をいれたくなる気持ちがわかった。









で、ここまでやって、、子どもが2、3歳になった時、生後すぐの頃を振り返って、こう言いそうだと思った。
「どの服もよかったんだけどさ、なんか父ちゃんの趣味の服ばっかりだったよね。ほんとはシンプルな無地が好きだったんだよね。」
とか言われそうだ!と思ったし、これが、俗に言う親ばかなんじゃないか!と思って、無理やり親の趣味で子ども服を着せて町を歩く親子を見て「イタイなー」と思っていた事を思い出した。

で、3着目は無地にしてみた。






いいねー。
俺が着たいくらいだ。

で、「こんどは俺が着たい服を作ってんじゃん」ということに気づいた。

そういう堂々巡りを、この5月以降はしていくことになるでしょう。

産着、肌着、布おむつ、おくるみ、枕カバー、赤子布団などを染め続けるでしょう。

そして、子ども服を縫製からやっていく作業は、とりあえず、先送りにします!

なぜなら、、生後から何歳かまで、数ヶ月ずつしか着ないでタンスの中に眠っている子ども服がめちゃめちゃたくさん世の中に存在していることがわかったから。

新たに作るより、リサイクルしたいです。

ないものを作るよりまずは、あるものを大事にしたい。

そして、うんちやよだれやごはんなどの染みを、美しい染めでアップサイクルしたい。

そして、既成の子ども服に丁寧に手で触れて、ゆっくりじっくり染める作業をすることで、子ども服の素材感覚や、縫製やパターンの機微を体感する時間をとりたい。

いちから作るのはそれからかな。

まずは「習うより慣れろ」

パターンが載っている本を買おうとも思ったけど、まずは触ります。

子を産湯につけるまえに、まずは産着をタライの中でくゆらせる日々の中で、これからの生活と仕事を見つめ直してみます。

冨貴工房としては、
産着のリサイクル染め
布おむつ染め
おくるみ(枕カバーと兼用可能)染め
腹帯(多彩に利用可能)染め
をしていきます。

興味ある方は冨貴工房(fukikobo@gmail.com)までご連絡くださいませ。

詳しくはまたお知らせします。


http://fukikobo.blogspot.jp/













2018年5月7日月曜日

「被ばく」がテーマとなると日記も長くなる(苦笑)

昨日は放射能についての本をひたすら読む日だった。


以下、引用。

原爆症認定集団訴訟は、2003年4月から始まりました。地方裁判所での原告連勝の中、2008年5月30日、大阪高等裁判所は入市被爆者を低線量内部被爆者であると認める判決を出しました。これに対して国・厚生労働省が上告を断念し、判決は確定しました。

大阪地裁、大阪高裁ともに、「低線量放射線による被曝の影響に関する指摘」を2冊の科学文献に求めています。

本書『死に至る虚構』と『放射線の衝撃』という本です。

裁判所は、これらの文献を「事実」であるとして引用しました。

日本政府は、自らも隠蔽していた「低線量放射線による内部被曝の危険性」を、事実として認めたのです。

引用以上。

『死に至る虚構』
著者:ジェイ・M・グールド/ベンジャミン・A・ゴルドマン 
共訳:肥田舜太郎/斎藤紀
発行:PKO法「雑則」を広める会)
より



内部被曝の影響がないという暗示は、どこから来たのか。

放射線の与える影響を調べるICRPは、放射線被ばくを「合理性」にもとづいて押さえると言っている。

合理性、、、経済的合理性、政治的合理性。

核兵器製造、原子力発電が実現できる範囲で、内部被曝を最低限に押さえるという考え方がそこにある。

アメリカ合衆国内の研究機関は、広島、長崎での原爆投下の影響が大きすぎるという報告を出せば「戦争責任」を問われ、なおかつその後の「核戦略」に足止めがかかる可能性があると見て、内部被曝の影響が小さいものであるとすることを決めた。

それ以来、放射線被ばく(とりわけ内部被曝)は人体に影響を及ぼす事はないとされてきた。

放射線防護学はそれ以来、純粋科学とはいえない、バイアスを帯びたものになっていった。

そして、純粋な科学では無いがために、各地で学者や研究者が調査を続けるたびに、ICRPの考え方、とりわけ提示される「安全値」に異を唱える団体が増えてくることになった。

ICRPが提示する「年間1msv」とされる安全基準値は「1万人が年間1msv被曝すると、その中の1人が放射線被ばくが原因で死ぬ可能性がある」というものだったが、ゴフマンという学者がこれにご不満を唱え「ICRPはリスクを40倍甘く見ている。実際は1万人が年間1msv被曝すると、その中の40人が放射線被ばくが原因で死ぬ可能性がある。」というデータを提示した。

その結果、ICRPは「1万人が年間1msv被曝すると、その中の5人が放射線被ばくが原因で死ぬ可能性がある」と修正をかけた。

前述の日本における裁判にも見て取れるように、各国政府による経済と政治に関する事情によって隠蔽されたり、バイアスがかかってきた「放射線被ばくの危険性」については、今のその認識が改められ続けているし、研究や実践の蓄積が共有されるということも続いている。



そして、そのような流れを支えているのは、政府でも組織でもなく、意志ある個人のつながりだということが大切なポイントだと思う。

・・・

善悪二元論という思想を土台に、放射線被ばくについて「放射線も悪者ではない」的な論が一部にはびこっている。

「彼らを嫌わないで」的な。

「どんな存在にも意味がある」と言う人もいる。

そりゃそうだ、とは思う。

と同時に、「では、マグマは悪者ではない、と言ってマグマに飛び込める?」と聞きたくなったりする。

僕らの身体を構成する細胞組織は、超エネルギーの高い電磁線を受け止めるキャパを持っていない。

すべての生命に存在意義があったとしても、住み分けはしたい。

抗生物質、化学物質、電磁波、抗ガン剤についてのスタンスと一緒だ。

僕はこれらの物質やエネルギーが、細胞組織に強いインパクトを与えて、活性酸素を産んでからだを疲れさせたり老化させたり、免疫力を低下させることを知っているし、それが体内で起きていると感じているから、「なるべく体内に取り込まない」という形で、住み分けをするようにしている。

取り込んだら、その影響を認識して、対処する。

梅干し、ドクダミ、味噌汁などを体内に取り込んで、酸化還元、抗酸化を助けたり、それらの物質を解毒、分解することを助けたりする。

気にしない人は気にしなければいい。

放射能の影響を気にして、研究したり実践することを、止める必要はないはず。

それをしたいのは、各国政府。

しかも、「過去の」各国政府。

彼らのスタンスも変わってきている。

過去の政府のかけたバイアスという夢から醒める時が来ているという感がある。

そして、「放射能を気にしない」人がなぜ、「放射能を気にしている人」 を気にするのか、には興味がある。

放射能が気にならない人が、人のやっていることの何をそんなに気にするのか。


死への恐れ。

絶望することへの恐れ。

途方もないと思える事実を受け入れることへの恐れ。

僕は被曝しているという自覚がある。

高線量と言われる地域を訪ねるたびに体調がすぐれないということが続いて、初めて、自分は被ばくしているんだということがわかった。

内側からじわじわ湧いてきた死への恐れは、今も意識の根底から消えることはない。

そして今も、どんなに養生しても、明日死んでもおかしくない、とどこかで思っている。

恐れも、絶望も、「これは途方もないな」という気持ちも、拭えはしない。

でも、その感覚を受け入れてから、「そう強く感じるってことは、よっぽど生きたいって事だな」という、「生きたい」という思いを、それまで以上に強く感じるようになった。

だからだろう。
塩炊きも、味噌づくりも、草木染めも、、
手間がかかる仕事をすることが苦じゃなくなったし、
いつか死ぬであろう身体とのはかない関係を、か弱い分子達を、細胞達との一期一会を、
今まで以上に大切にしようと心から思える。

死が目の前にあると気づいてから、生の有り難さが今までより分かった気がする。

そういう意味では、放射性物質にも存在意義があるとは思える。

でも、それ以上に、すべての物質、生命は、別に僕達の為にあるわけじゃない。

存在意義とか、善悪とか、そういうレッテルを、一緒に生きている生命達に貼っていく事自体を辞めていきたい。

シンプルに、僕達が被ばくと向き合ってきた歴史自体が、現在進行系で成長を続けていて、その一端に僕達がいるという認識を持っている。

「ま、見なくていいんじゃない」
「気にしなくていいよ」
という人もいるけれど、気にすることを止めることは難しい。

河原に生える蓬やハコベの存在に、いちいち立ち止まって、摘んでは食べたり、チンキにしたり、干したり、いろいろな事に使ってみる人に対して「気にしなくていいよ」というのが余計なお世話なのと一緒で。

世界に原発は何百基もある。

使用済み核燃料は、日本国内だけで約18000トンある。

核兵器も各国にどっさりある。

それらの産業に携わる労働者は数千万人〜数億人単位で存在する。

「味噌汁がいいよ。」

「腸を詰まらせないほうがいい。」

そういうことを実感を元に伝えたいし、味噌を作ったり、味噌汁を配ったり出来る状況も、作りたい。

味噌をどこかに貯めておいて、何かあったらすぐ配れるように。

いつでも味噌汁の炊き出しができるように。

放射線、電磁波、紫外線、抗生物質、化学物質、様々な人工的な物質やエネルギーに過敏な人も増えている。

サナトリウムや保養所も、たくさん作っていけるだろう。

ウクライナ、ベラルーシには、国営の被ばく対策ための保養所がある。

1年中、子どもたちを受け入れる体制が出来ている。

日本で、そこまでいくのに時間はかかるだろう。

でも、一歩ずつ。

古民家再生と一緒にやっていけないだろうか。

とかなんとか。

ということで、まずは保養キャンプ、全国の保養団体を、大切にしたい、みんなで。

そして、放射線の身体に与える影響、その研究を、噛み砕いたり、わかるように説明したり、していきたい。

漬物や味噌や野草や、一汁一菜や、よく噛むことや、よくからだを使うことなど、ダメージを受けた身体のちからを取り戻す生活の知恵も身に付けていきたい。

そして、原発や巨大産業に便り過ぎなライフスタイルを、手仕事、地域産業、自分たちで文化を作っていくようなライフスタイルにシフトさせていく道をつくっていきたい。

絶望や闇や恐れは、悪いものじゃない。

少なくとも僕にとっては、被ばくを通じて味わったそれらは、善でも悪でもない。

ただ、ウラン、セシウム、強烈な鉱物粒子のインパクトを受けて、「自分はどう生きるか」を問われた気がする。

答えはまだない。

問いは続く。

生まれ続ける問いへの応答を、続けたいと思う。











2018年4月30日月曜日

命と活動と仕事とコミュニティ

今は岡崎にいます。

吉村医院という自然出産を勧める産科&助産院があるので。

そして、ここで子どもを産もうと考えていたり、産んで子育てをしている人達のコミュニティがあるので。

僕がここによく出入りしている元々の理由は、後者。

子どもを産んだ後のコミュニティ。

子育ての中で必要な色々なことを、シェアしあうコミュニティ。

何か学びたいことがあったとき、やりたいことがあったとき、
ちょっと子どもを見ててあげるよ、と言い合えるコミュニティ。

学びの場作り。

給食のことや、教育内容のことなど、学校や幼稚園や行政に働きかけることを、一緒にやれる仲間づくり。

そのための学びを深めるつながり。

そういうものを、励ましたり、助けたり、することのために、通っている。

それが一番。

そして、今は、うちの子もここで生まれるかもしれないということ。

妻の意志と、胎児の意志。

その意志の中に、吉村医院と、そこにつながるコミュニティとの縁が、引き寄せられつつあるから来ているということもある。

今回は、その両方が混ざってここにいる。

今日は、暦と身体の見方のワークショップ。

あと、ここのコミュニティの中でやりたい!と盛り上がっている「塩炊き」の打ち合わせ。

明日は妻の定期検診と両親学級。

明後日は、塩についてのお話し会。

暮らしと活動と仕事の境界線が曖昧になってきた。

それがうれしい。

仕事のために命が犠牲になる世界はもう勘弁。

活動の為に生活が犠牲になる構造も、もう卒業。

これからの世界は、それらすべてが有機的に混ざり合って、お互いを助け合う共生の世界。

・・・

最後に、そういう考えを応援してくれるような言葉に出会ったので、それを紹介します。


「すべてのコミュニティにおいて、すべての人が人生を自分の手に取り戻さない限り、自由はありません。それぞれのコミュニティが生活全般の運営を自分たちで行い、住民同士の仲たがいを解決し、子どもをどう教育するかを決め、平和と安全を確保し、物資の流通のための市場を運営する。そうなれば、人々の自尊心が回復します。どのコミュニティでも、ごく普通の人々が公共の仕事を経験しながら、さらに自信を深めるでしょう。」ビノーバ・バーベ



■ビノーバ・バーベ(Vinoba Bhave) 1895‐1982
インドの思想家。社会運 動家。インド・マハーラーシュトラ州コラバ地 区ガゴダ村(現ライガット地区ガゴダバドラック) 生まれ。マハトマ・ガンディーの第一後継者と して、非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ) を指導。サルヴォダヤ(万人の飛躍)思想に基 づく社会運動を展開するなか、大土地所有者 が自主的に貧困層への土地の贈与を行う土地 寄進運動(ブーダーン運動)を推し進めた。 


↓おすすめ!


『怖れるなかれ 愛と共感の大地へ』
著者 ビノーバ・バーベ、サティシュ・クマール 
編集 辻信一、上野宗則 
出版社 SOKEIパブリッシング 
http://yukkuri-web.com/ 

2018年4月25日水曜日

悩むことと、蛹になること。

新潟での保養、風フェスについて、の続き。

甲状腺検査の為に必要なマイクロUSBを買いに行く際に、スタッフで来ていた大学生に車を運転してもらった。

そこで小一時間、二人で語らう時間が取れた。

この時間がすごくよかった。

彼女は進路について悩んでいたんだけど、僕は、悩みも持たずに大人達の用意した選択肢から未来をチョイスするより、どうしたらいいものかと悩んでいる姿をこそ、正常だと思ったし、そう伝えた。

僕は、悩んでいるよ。

これからの未来について、もちろん希望を感じているけど、それは、受け身な希望じゃなくて、主体性を前提とした希望。

誰かがどうにかしてくれるかな、とか、未来は明るいかな、という希望ではなくて、自分で未来を作っていくという、覚悟と同質の希望。

その、後者の希望が生まれる泉の中には、悲しみとか、怒りとか、落胆なんかも含まれている。

その事を見ないふりする必要はないと思っている。

見ないふりを勧める人もいるけどね。

「ネガティブな事をイメージしたら、それを引き寄せる」とか。

僕は、議論をするつもりはないかな、そこについては。

そう思いたければ、そう思えばいいし、僕も、思いたいように思うようにする。

色んな角度から、色んな深さで、内面を見つめ続けたり、色んな角度から世界に関わったりを続けながら、思い込みを外す為の変革の機会の中に勇気を持って何度も飛び込んだりしながら、今はそう思っている。

これからこの思いが変わることはあるかもしれないけど、今はそう思う。

誰が何をどう思おうが、それは自由。

人の思いを操作しようとしたりすると、思い込みや思考停止状態の人を作ることになる。

それは危険だし、そんなことは望まない。

僕はあなたを操作しようとしないから、僕の事も操作しようとしないでくれと思う。

「今はそう思っている」ということを、お互い大事にしたいと思うから、意見の違う人のアドバイスは、受け取るけれど、ピンと来なかった場合は、それを食べないこともある。

白砂糖入りのおまんじゅうは、もらっても、有難く受け取って、食べないこともある。

そのバイブスは必要ない、と思ったら「はい。結構です。」と、言っていいと思うから。

原発も、もういらない。

戦争も、もういらない。

戦争を支援する法律も、もういらない。

それらを支える考え方も、もういらない。

ありがとう。そして、もういらないです。ということ。

さて悩み。

僕は好きなんだ、とにかく。

悩む人が。

悩むという状態が。

僕はその姿を、芋虫が蝶になる過程の中の、蛹のように感じたりもする。

蛹の体内はカオス。

それまでの体を形作っていた細胞組織が解けて、スープみたいになって、混沌とする。

その後に、それまでと全く違う、それまで全くなかったような組織が組み立てられていく。

悩む姿に、その美しさを感じる。

僕は、色んな人に話を聞いてもらうといいよ、と言った。

「聞いてくれる人、いるから。特に、ここ(風フェス)には、絶対いる。」と付け足した。

彼女は最初、拒んだ。

答がはっきりしない状態で話なんて聞いてもらえると思えない。

怒られたらどうしよう。

普通の大人はそんなことしてくれない。

なるほどなるほど、彼女の知る「普通の大人」は彼女の生きてきた世界の中で出会った大人なんだろう。

親、学校の先生、バイト先の上司。

果たして、この大人たちは「普通の大人」なのかな?

色んな大人がいるはずなのに、出会ったことがない種類の大人が、実は世界にはめっちゃくちゃたくさん、多様に存在しているはずなのに、「これが普通」と思わせてしまう社会があるんだな。

すごく気の毒に思った。

大人が、子供たちに「世界はこうなっている」という偏った価値観、世界観を植え付けている。

もし仮に、彼女が悩まなかったら、自動的に、そういう価値観、世界観のまま、いわゆる「普通の大人」を演じていくんだろうな。

何かを抑圧しながら、何かを我慢しながら。

その意識の根っこには「人は話を聞いてくれない」という考えが染み付いたままなのかもしれない。

それはすごく残念だし、申し訳なくも思った。

そうじゃない大人のあり方を、少しでもシェアしたいと思った。

で、更に親身(?)になって、話を聞いて、彼女が話を聞いてみたいと思う人が、風フェスの中にすでに数人いるということを知って、その人(友人)と彼女を引き合わせてみた。

そうしたら「話を聞いてみたいなんて言ってくれて、めっちゃうれしいー!」と喜んで受け止められ、大学生の彼女の周りには人だかりができて、彼女たちの話を聞く会、が立ち上がってしまった。

若者たちの力になれたら嬉しい、という大人はたくさんいるよ。

何かを教えたり、指示したりするのではなく、ただ話を聞いたり、求める事に応じてあげたいと思う大人はたくさんいる。

世界には、そういう人もいる。

その事が伝わって、本当に良かった。

子どもたちに絶望を与えてしまった世界を変えることに、ちょっと貢献できた気がした。

あと、僕が想像していた以上の受容力と、喜びによって彼女を受け止めてくれた仲間たちに、心から敬意と感謝を送りたいと思った。

話を聞くこと、大事だね。あらためて。

ついアドバイスをしそうになるけど、分析したりとか、提案したりとか、しがちになるけど、ただ受け止めて、自分の心が動くままに、相手に貢献していこうとすることが、自然な関係性づくりなんだなと思った。

ということで、書いてみたら、このエピソードだけで長文になってしまったので、今日はここで終わります。

続きはまた明日か明後日かに。




2018年4月24日火曜日

検査のデリケートさ。関わることと広めること。境界線を越えること。

新潟の阿賀野で行われた保養、風フェスの報告の続き。

この保養の最大の特徴は、ドクターによる健康相談と検査があること。

もちろん他にも特徴はあると思うけれど、医師や看護師がこんなに参加している保養は他に聞いたことがない。

そして、だからこそ、この保養の存在は知られにくい、とも思う。

広めにくい、と言ったほうが正確かもしれないけれど。

そして、広めればいい、知ってもらえばいい、とも思えない、ということも付け加えておきたい。

例えば食品の放射能汚染が発覚したとして、その情報の広め方については、とてもデリケートに扱ったほうがいいと思っている。

例えば「◎◎産の梅から◯ベクレル出た」と騒ぐ人がいる。

その言葉の使い方によって、その産地の作物全体を買い控える人が出てくるとしたら、これこそが風評被害と言えると思う。

よかれと思った行動が、逆効果を産むことがある。

この人、誰を助けたかったんだろう、と思う。

誰かを守って、誰かを犠牲にしてはいまいか、と思う。

また、梅のような(または梅干し)のような、1回に数グラムしか食べないものと、1回に数百グラム食べるようなものでは、同じ汚染度(◯ベクレル/kg)でも、影響は大きく異なる。
そういった補足、つまり実生活に落とし込んだ情報として渡す親切さも、大切だと思う。

生産者、産地への配慮がない発信に、僕は暴力性のようなものを感じる。

それは、動物愛護を叫びながら、肉を食べたり動物園に行く個人を精神的な病気に追い込まれるくらいにまで叩く構造とも似ていると感じる。

そういった事が、健康検査の現場周辺にもうごめいている。

保養に関わっている事がわかるだけで、左遷されたり、圧力をかけられたり、ハラスメントを受ける医療従事者がいる。

健康検査を受けた(または受ける)と言うだけで、地域の中で孤立する人がいる。

保養に来る、というだけでハラスメントを受ける人がいる中で、健康検査も受けるとなると、その圧力はさらに強くなる場合がある。

地元の経済を守りたい、原発産業を守りたいという思いによって、命を守りたいという個人が攻撃されている。

だから、基本的に風フェスでは、記念写真や集合写真に参加者さんが写り込む事はない。

医療従事者の姿も、ほとんど写ることはない。

ここに居る、ということがバレるだけで困る事が起こる。

今の社会は、そういう状況。

何かを守る為に、何かを攻撃する、ということが無自覚に起こっている。

それが現実。

だから風フェスの存在は、知ってほしいような、知られてはまずいような、とても微妙な状況に置かれている。

実際今回も、同じ町から、誰にも告げずにやってきて、現場で出会って「あー!来てたのー!」と言い合っている姿を見た。

こういうことは、少なくないんだよね。

悲しいけれど、これが現実。

そして、こういった現実を作ったのは、セシウムではなく、僕達の作った社会の有り様だと思う。

そして、だからこそ、変えていけるところがあるとも思っている。

伝え方、聞き方、理解の仕方、コミュニケーションのあり方。

さっき書いたような、汚染の状況や被ばくの状況の伝え方、受け止めた方、コミュニケーションのあり方を、もっともっと丁寧に、見つめ直していきたいと思う。

僕はこの4回、甲状腺検査の助手をしている。

最初は、 「え、いいんすか?素人すけど。」と思う心もあった。

と同時に、立ち会えること、関われること、医療班に含めてもらえることに、とんでもなく大きな嬉しさがあった。

自分のやれることの幅を、どこまでも広げていきたいと思っていたから。

関わってみて、「これは、関わったほうがいいな。」と思ったし、今は、「関わったほうがいいかどうか」ということの先の、「現場の何をどう改善できるか」という質的なところに意識が向いている。

検査をするのは医師や検査技師。

そして、検査の作業そのものの補佐をする助手がいる。
被験者さんにベッドに横になってもらったり、カルテを取ったり。

そして僕は、その仕事を時折やりつつ、メインはデータ管理とデータの利用。

1回目の時は、検査機器からデータをUSBメモリで取り出して、プリンタで印刷をして、受付で被験者さんに渡す係。

2回目の時は、風フェスに関わり続けていた甲状腺専門の医師が四国に引っ越した為、それまで心電図検査をしていた検査技師さんが甲状腺検査も兼任する事になったので、もし専門家への相談が必要な状況があったらメールでデータを四国に送る必要があり、このやりとりも僕が担当した。

書いてみるとややこしい話だけど、実際、このやりとりは大変だったなー。

検査と検査の合間に、データを抜き取って、PCでデータを変換して、送信して、そして電話も入れる。

ちなみに、このやりとりをしながら、各被験者さんの過去の検査結果を見つけ出して閲覧する作業も並行していた。

そして、やっていて思った。

これは、甲状腺の専門家ではなくても出来る仕事だし、「自分は甲状腺の専門家ではない」という引け目を感じて関わる事を辞めていたら、この現場をとんでもない仕事量と共に孤立させていたことになっていたかもしれないんだな。

検査の現場で大事だと思ったことはもう一つ。

それは、心のケア。

子どもをベッドに横たわらせる。

子どもの喉元に検査器が当てられる。

その姿を見守る母の眼差し。

勇気と覚悟と、不安と心配。

なんとも言えない、様々な感情が入り混じった心。

この場をなるべくリラックス出来る状況にするために、スタッフは心を配って会場デコレーションをしている。

検査スタッフが忙しそうにしていたら、親は心配に思うかもしれない。

気持ちが落ち着かないかもしれない。

大丈夫、リラックスしてくださいね、と言える空気を大切にしたい。

言える自分たちであることを、大切にしたい。

ここに関わることは、とてもデリケート。

何人もの涙を見た。

被験者だけの涙ではない。

検査技師、看護師、そして自分自身も含めて、とても心が動く現場。

この現場を知ってほしいと、安易には思えない。

ここを、守りたい。

そのほうが先だ。

広めるよりも、守ること。

と同時に、関われる人が増えたらいいとも思う。

複雑だね。

でも、この複雑さから逃げないでいたいな。

さて、今回も、大変だったなー。

今回は、検査中に電気屋に走ったりもした。

機器が変わったことで、データを印刷するための手間が増えた。







この、iPadみたいなハンディな検査機は、使いこなせれば素敵で便利な機械だろう。

でも、使いこなすために、当日の朝からの準備では、間に合わないところがあった。

朝のmtg中、この機器の中にインストールされているインストラクション(しかも元々英語で創られているものを、グーグル翻訳的なカタコト日本語に変換されたものだから、超わかりにくい)を急いで聞いて、速攻で必要な準備をするが、この機器からデータを抜き取って印刷するには、どうしても道具が足りないことがわかった。(具体的にはマイクロUSBが必要だった)

ということで、検査が始まる直前に電気屋に走り、検査中に戻ってきて、検査の合間に設定をし直して、データを抜き取ってプリントをするテストをして、何とか形になった。

ヒヤヒヤだったし、このヒヤヒヤのバイブスが、多少は現場に影響したんじゃないかと思っている。

と同時に、このような予測の範囲外の事は必ず起こるとも思っている。

だからこそ、その状況に関わる一人でいれてよかったと思う。

「ここは任せて」と言える領域を持てることができてよかったと思う。

現場の改善に対しての提案が出来るし、提案を聞く事も出来るし、それらの話し合いをまとめて、次回に活かす事も出来るし、その為の準備にも関われる。

なんとかなってよかったし、次はこの経験を活かして、よりよい対応が出来るとも思っている。


なんでこんなことを日記に書くかというと、医療の専門家でなくても、出来ることがあるし、現場の環境をブラッシュアップしてより良いものにしていく試行錯誤は、多分これからも、医療専門家だけではない関わり合いの中で、常に現在進行系で進んでいくと思うから。

そして、そのようであるということを、知ってほしいと思うから。

今回は、参加者の数が前回より少なかった為、検査と健康相談は午前中で終わった。

そして、各方面の専門家であるドクターと看護師同士が集まって語り合うランチがあり、その後は風フェス代表の真由美さんによる放射能の基礎講座があり、その後は、ドクターと医療班と参加者やスタッフの希望者が参加する茶話会をおこなった。

ということで、今日の日記はこれくらいにして、また続きを書こうと思います。

・・・

僕たちは無自覚なうちに、「自分に出来ることなんてないのでは」と思ってしまったりする。

でも、その境界線を踏み越えて関わってみると、何か一つは出来ることがあったりする。

アースデイ永田町を通じて、政治の素人である僕達にも出来ることがある事がわかったし、海旅キャンプを通じて保養なんてやったことのない僕達にも出来ることがある事がわかった。

そうやって、何度も何度も、境界線を踏み越えていくことが大切だと思う。