2018年6月12日火曜日

踊りと染め




この下駄は、岐阜の郡上の「郡上木履(ぐじょうもくり)」の諸橋君が作ったもの。

彼とは愛知県春日井で行われた茜染めワークショップをきっかけに出会った。

その後、この3年間、郡上踊りという伝統行事に合わせて、徹夜で踊っても大丈夫な下駄である「踊り下駄」の鼻緒を染めさせていただいている。

この鼻緒は、昨年染めたもの。



郡上木履(ぐじょうもくり)http://gujomokuri.com
郡上踊りで使われる下駄の企画・製造・販売。 「メイドイン郡上」にこだわり、郡上の山で育ったヒノキを活用し、 木の削り出しから鼻緒すげまで、一貫して郡上内で行う。 主に、「踊り下駄」と呼ばれる踊りにも使える丈夫な下駄を制作。 郡上の下駄文化を守り、発信する郡上発の下駄ブランド。

伝統的な仕事は、連携が大事だとしみじみ思う。

木こりがいて、鼻緒を染める人がいて、下駄を作る人がいて、履く人がいる。
そのひとりひとりが、直接つながってやりとりできている関係。

その輪の中に、伝統が残る。

実際、下駄の鼻緒のための布の染めの依頼内容は、染める身にとって、とても理にかなったもの。

長さ:約160センチ × 幅:約35センチ〜37センチ を10本染める。

幅は、ちょうど一尺。

一尺は肘から手首までの尺骨の長さ。

日本では、染や織りの作業がしやすいよう、この、いわゆる腕の長さに合わせた幅の布(小幅の布)が使われることがほとんどだった。

着物も作務衣も股引も浴衣も、そして下駄の鼻緒もこの小幅でつくられる。

そして長さも完璧。

この長さの布を10本とると、ちょうど一反になる。

一反は、当時の女性の着物を一枚作るための面積をもとにした単位である。

僕は生地を一反単位で仕入れる。

この生地は、10枚に折られて工房に届く。

これを折られたまま切るだけで、諸橋君からのオーダー通りの生地が出来上がる。

連携がとってもスムーズ。

生地を織る人、染める人、鼻緒にする人が、同じ伝統の中にいることで、お互いの仕事を楽にする。






このサイズの布は、たらいにぴったり収まる。

最近は、一日の仕事の半分を執筆、半分を染めに当てている。

手を動かすこと、同じ作業を反復し続けることが、頭と心と体のバランスを整えてくれる気もしている。

1回1時間くらいの、すすぎ、媒染、すすぎ、染め、すすぎ、の工程を5回〜8回繰り返して、一枚の布が仕上がる。

これを10本。

踊り続ける人たちのために、染め続ける日々。







自然出産を勧める吉村医院では、産前に一日300回のスクワットを勧めている。

一日5時間位染めていると、重たいたらいを運んだり、布を上げ下げするうちに、スクワットはその数を越える気がする。

「世の中に踊らされるな。自分の踊りを踊れ。」

と言っていた人が何人かいたことを思い出した。

思い出しながら、踊るように染めている。




2018年6月11日月曜日

醸し人との出逢い

先日、初めて東海醸造の本地さんと会えた。

いきなりですが。

東海醸造は、三重県内で唯一といっていい、伝統的な作り方で長期熟成豆味噌を作っている蔵。

長期熟成豆味噌は、2メートル以上の高さの木桶で、2つの夏と2つの冬を越えて仕込まれる。

時間もかかるし、1回に作る量も多い。

つまり、リスクがある。

人件費も光熱費も、その年月分かかるし、材料費もかかる。

そして、売れるかどうかは、3年以上経ったあとになって初めてわかる。

というなかで、たくさんの豆味噌蔵が、経営不振で閉じられている。

その速度は、想像していたよりも急速だった。

「蔵を閉鎖するから、使わなくなった木桶を引き取ってくれないか」という相談が、東海醸造の本地さんの元に入る。

そういうことが、年々増えているという。

仕込む前に、買う人の顔が見えている関係が、昔はあったという。

みんなが味噌を食べていたし、味噌蔵と縁を持っていた。

マーケットでチョイスするものではなく、「私は必ず買うから、安心して仕込んでね」と言っていた関係。

「なんなら先にお金払っておくよ」と言ってくれる人がいた関係。

そういう関係性のなかで、味噌が仕込まれていた。

そういう関係を心から取り戻したいと、とても強く思っていた。

だから、本地さんと会えたのはとってもうれしい出来事だった。

何ができるか、ということもあるけど、とにかく人として繋がれてよかった。

また会えるということも明確になったし、この縁を大事にしたいと思う。

この日は、百聞食堂というすてきな取り組みの中でやっている、東海醸造の協力で、みんなで大豆を育てて、長期熟成豆味噌を仕込んで、その味噌をわけあうという取り組みのクライマックスのあたり、「じっくり寝かした木桶から重しの石を外してみて、上の方の味噌を食べてみよう」の会だった。


僕はこの取り組みに、とても感動している。

蔵で働く人ではなく、味噌蔵や長期熟成味噌を思う多くの人たちが、実際に自分たちで関わって、労力やお金を持ち寄って、味噌と味噌蔵の存在に積極的に関わっていく。

長期熟成豆味噌と、味噌蔵、そして味噌文化の再生を、自分たちの関わりの元に実現させていく。

そういう意志と行動力と、困難にあっても、向き合って乗り越えていこうとする気概に、胸打たれる。

百聞食堂をオーガナイズしているよっしぃさんとかおりこさんへの心からのリスペクトを送りたい。



そしてこの日は僕も、ずっと会いたかった人に会えたという喜びを隠せずに、ほぼ本地さんの元を離れずに、延々と話をしていた。

本地さんも、僕のことを知っていてくれていて、一緒にいる間に何度も、
「一緒に写真をとりましょう」と言ってくれた。



木桶から出したばかりの、酵母多めの豆味噌に、くるみなどを合わせて、炭で炙った五平餅を皆で作って食べた。

味噌蔵のまわりに、こういうコミュニティを作っていくってことだな、と思えた。


「私たちも夜は寝るし、冬は動きたくなくなる。微生物たちも、ずっと工場で高温で働かせたらかわいそう。冬は休んだほうがいいし、そのほうが夏に動ける。」

本地さんが味噌を語る言葉に、我が子を思う眼差しを感じる。

微生物のことを、まるで赤子のように扱い、かわいい我が子のように扱っていることが伝わってきた。

子供のような純粋さをそのまま持っているすてきな醸し人。

こういう話を、理解できるひとりでありたいとしみじみ思う。

味噌と味噌蔵とのご縁を、大切にしたいと改めて思った。

味噌と味噌蔵の文化を支える、関わる、当事者として、生きていたい。

シンプルに、そのことをはっきり感じる逢瀬だった。

心から尊敬しています。

愛にあふれる醸しをありがとうございます。







2018年6月9日土曜日

発酵と執筆と夢

ここのところ、微生物と味噌についての本ばかり読んでいる。

土壌微生物、粘菌(変形菌)、発酵食、味噌。

そして、酵素の仕組みとはたらき。

読んで読んで、噛んで噛んで、なるべくわかりやすい形で、を目指して執筆中。

子どもが生まる前に、書けることは書き切っておきたい。






今、みそについての本を書いている。

仮タイトルは「いのちとみそ」。

この本を書いたら、そのあとに「命と核と味噌汁」という本を仕上げるつもり。

そしてまずは、みそにテーマをしぼって書いている。

書く!というモードに入ると、めっちゃ本を読むようになる。

暦の本を書いた時も、古文書から雑誌まで、読みまくった。

写真にある本たちは、本当にどれも素敵。

書くという行為は、受け取ったものを咀嚼して、消化して、そこから新しいものを生み出すってことなんだろう。

書いている原稿を読んでいて「僕から生まれたもの」ではないという感じがする。

今までの、誰かの経験や気づきや発見を受け取って、咀嚼して、自分なりの感性や感覚やロジックで、整理し直してアウトプットする。

そうやって、命が廻るように、発酵の連鎖のように、伝えるという行為は再生され続けていくような気がする。

僕が初めて本を書いた時のテーマは、原発のこと、核のこと。

その時も同じことを思った。

たくさんの素敵な本に出会って、僕はそれらをいっぱい読んだ。

でも、僕の身の回りの友達にそれらの本を貸しても、読んでくれる率は高くなかった。

むずかしい、とか、表紙がこわい、とか。

「えー。そんな理由で読まないのー。」
とも思ったが、それより強く思ったのは
「じゃあ、君が読めるものを僕が書くよ。」
ということ。

僕なりに「伝わったらいいな」と思うことを、僕なりに噛み砕いて、言葉にして伝え直す。

そうやって、素敵なもの、伝えたいものと、伝えたい相手の間に入る行為が「メディアになる」という行為なんだろうな。

ということで、みそのこと、書いてます。

間も無く原稿自体は仕上がるでしょう!



昨日はこの2冊を読んでいた。

そして、右の本の筆者である小倉ヒラク君が夢に出てきた。

なんか二人で雑談している夢だったんだけど

「発酵は意志によって行われる」

と言っていたのが印象的だった。

発酵と腐敗の境界線は曖昧。

どちらも微生物の持つ酵素による化学反応。

発酵は、その中の「人間にとって有用な化学反応」のこと。

たまたま生まれた発酵食品もあるだろう。

でも、それらを受け継いだり、発見したものをバージョンアップさせたりしてきたのは、うん、確かに、意志だね。

ひとりひとりの生きる意志が、発酵文化を継いできた。

発酵のかなめは意志。

ヒラク君、まだ会ったことないけど、本の中と夢の中の印象で、かなりリスペクトしてます○

2018年5月31日木曜日

野生と栽培の狭間にある人参



これは人参の花。

人間の蒔いた種から始まった中津生活を何世代か経て、今は野生。




ここは工房の斜め裏にある”元”コミュニティファーム。

今は、手付かずの空き地状態。

僕は時折入っては、野草化したハーブや野生化した野菜を採取している。

あと、一応、栽培していると言っていいのか野放しにしていると言っていいのか、
という感じでヤローとフェンネルの世話をしている。

スペアミントは相当ワイルドでごつくなった。

色が濃くなり、香りも強い。

パクチー(コリアンダー)はその勢力を年々広げ、村のような状態になっている。
(草むらとはよく言ったものだ)

人参は、僕も含めて数人が育てていたもののこぼれ種から野生化しているので、
今や「誰が親だったか」的なことは曖昧になっている。

人が運んだ種から始まった一年目を経て、そこから種がこぼれて野生化して、そこから三年〜四年くらい経っているので、花の形も以前と変わってきている。






この草むらに出入りしていると、時折り近所の女子たちが声をかけてくる。

先日は、商店街の酒屋のおばあが、草むらの角に咲いていた野ばらを見て、
「これ、もらえないかな」
というので
「もらっていいんじゃないかな」
と答えたら、時間があったら取ってきてほしいと頼まれた。

ここの女子たちは頼み事がうまい。

そして僕は、彼女はもらった苗をとても丁寧に育てるということを知っているので、
野ばらを渡しても弱ることはなくて、むしろ可愛がられて嬉しいんじゃないかなとも思って、快く引き受けた。

そうやって野ばらを採取して渡したら、今度は「あの白い花がすごくきれいで」と言う。

また頼み事?と思いながらも、きれいなものを見たり「きれい」というコトダマを使う機会があること自体とても素敵だと思ったし、その無垢さも素敵だなと思ったし、何より、その花を切って捨てるわけじゃなくて、大事に育てるんだろうと思ったので、またもや草むらを分け入って、根ごと抜いて酒屋に持っていった。






そして、野生化しつつある人参の根が、あまりにもかっこよかったので、思わず何枚も写真を撮った。

人参の地上部分は茎も幹も太いし花もでかい。

そして、これだけごつい地上部分を支えているだけあって、根っこの存在感はとてもパワフルだった。

そして、人のようだった。

朝鮮人参のような多年草の人参は、六年も経つと人間のような形になっていく。
そして、人の内臓全般によく働く効能を持つようになる。
人に参じる、と書いて人参。

野生の人参を、人は自分たちの為になるように、気に入ったものの種を摂り、それを蒔き、育て、気に入ったらまたその種を摂る、ということを繰り返してきた。

原初スタイルの品種改良の系譜。

そして、種を蒔くことをやめると、人参たちはまた自然の姿に戻っていく。

そのプロセスの途中を垣間見た感がある。

根ではなく花を愛でたいと言われ、酒屋に運ばれた人参が、花壇に咲く。

こぼれた種は猫やハクビシンや鳥に運ばれていくのだろうか。

人為と、人為を越えたプロセスを経て、植物たちは旅を続ける。


2018年5月27日日曜日

路上菜園と境界線のこと

家のまわりを散歩していたら見つけた路上菜園。









最近、家に鍵をかけるのが普通になって、セコムしたりもしている中で、盗まれたり、荒らされたりということへの警戒がとっても薄そうな感じを見つけて嬉しかった。

うちのばあちゃんが生きてた頃は、家の垣根からはみ出してなっていた柿や栗やみかんは、「このあたりになってるのは家の人が食べる分、このあたりのは誰でも食べていい分」というざっくりした暗黙のルールみたいなものがあって、私有物と公有物の境界線も曖昧だった暮らしが普通にあったんだと思う。

群馬の山の中っていうこともあったけど、ばあちゃんの家は鍵もしてなかったし(してないというか、垣根も低いし防御が不可能だったし)近所が顔見知りで普段から交流があったから、警戒心自体も低かったと思う。

そしてふと思ったことがある。

僕も工房の壁沿いに小さい畑を作って、野菜やハーブを育てていると、そのことが共通の話題になって、近所のおじいおばあと会話する機会ができる。

何かを育てる、何かを作るということがその場にあると、そこに関係性をつくるハブ(仲介みたいなもの)ができるのかもしれないですね。

垣根の外にせり出して、野菜を育てているこの空間に、たぶん、たくさんの会話が生まれているんじゃないだろうか。

人は現代、垣根や境界線を作ることで、ある意味での防御とか、安全を確保するようなデザインで生きているけど、そのラインを越えていく植物や動物の存在が(ペットがいると近所の人達と会話が増えるということもあるし)、人と人の間にある垣根を柔らかく溶かしてくれるのかもしれないですね。

境界線、国境、対立、共生、ここを通るたびに思索が進みそうです。


2018年5月22日火曜日

初夏を祝う冨貴工房マルシェ、ありがとうございます

5月5日 立夏

初夏を祝う冨貴工房マルシェ。

工房をここで立ち上げて以来、二ヶ月に一回くらいのペースで継続しています。

最近は、僕自身の結婚や妻の妊娠、産前産後の暮らしの準備や調整などが相まって、なかなか安定したペースで工房での活動が出来なくなっているので、不定期な開催となっています。

それにも関わらず、思いを持ってこの場に参加をしてくれる出店者さんや来場者さんに支えられて、何とかやってこれています。

それは本当にありがたいことです。

日々の予定が立たないので、イベントやワークショップ、マルシェといった場を企画することの大変さが今まで以上に増している中だからこそ、参加を呼びかけて、それに応じて足を運んできてくださることの有り難さが、しみじみ実感されます。

来てくれて有難う。

参加してくれて有難う。

という気持ちを再認識しています。

今回は、僕の尊敬する弁柄染め作家のぶっさんを招いて、布だけでなく、農具や料理道具を染めるWSをしていただきました。

道具を大切にするという意味でも、これらを染めるという時間はとても貴重なものと感じます。











pirate utopiaのパンは、たいてい昼食時に到着します。
今回も、到着早々行列が。
この時間帯が、マルシェのピークタイムだったような気がします。





冨貴工房マルシェの特徴の一つは、出店者として参加する人たちが、お互いの出店を楽しみにしていること。

丹波の農家さんが持ってきてくれた黒大豆の下で、八百屋のしほちゃんがむすび食堂のごはんを食べている姿がよかったので写真を撮りました。









僕は基本、マルシェの日は出店はせず、やってきた素敵なものたちを堪能したり、
のんびりしながら色々な人と話すのが楽しみ。

そして、開いている時間があるからできることを、気持ちが湧くままにするのが好き。

マルシェの時間を利用して掃除をしたり、農具を修繕したり。

この日は蓬を世話することを楽しみました。






中津は梅田から一駅。
アクセスがいいです。
マルシェが人と人の交差点のようになったらうれしいですね。






今回のマルシェでは、僕のパートナーのおなかに授かった赤ちゃんの到来を祝うサプライズがありました。

赤ちゃんがコミュニティの一員として迎えられたような気持ちになって、とても嬉しかったです。

温かい人達に囲まれているんだなーとしみじみ実感。

みなさま、本当にありがとうございます。




ぶっさんから頂いた産着は、マルシェの時間中に、可愛く染めさせて頂きました。




次のマルシェの開催は、出産のあとになります。

おそらく10月7日、産後のお休み中に、初めて赤子がコミュニティの中で交流する機会になると思います。

どうぞ宜しくお願いします。


2018年5月17日木曜日

生ゴミ→微生物のごはん。

工房の壁沿いに小さな畑を作ってもらったのは5年前。

ブロックと、漬物石を使って。

作ってくれたのは西宮に住む家を自分で建てたワンちゃんという友人。

漬物石は、ここにあったもの。

ここは元々、戦後から数十年は漬物やだったらしい。

だから、この畑の土には、戦後から続く漬物系列の菌が住んでいる。

今までで一番でかく育ったのは人参かな。

青森の苫米地さんという、六ケ所村再処理工場の建設に異を唱える農家さんのところから来た人参を、すぐには食べきれないしうちには冷蔵庫がないので、土にさしておいたら、ぐんぐん育って、花を咲かせて、種まで採れた◎

さすが、意志のはっきりした人のところにいた人参は、生命力が強いというか、生きる意志が明確というか。

あと、その後すごくインパクトがあったのは、鬱金。

鬱金は、いつ、どこから来たのかわからない。

最初は何かもわからなかったが、きれいな花を咲かせて、それでわかった。

秋ウコン。

根はずっと居るので、今年も葉を広げてくるのかしら。

そしていまは、野生の大根と、ワイルドストロベリーと、スペアミントと、野ばらなどがいる。










































そして2年前から、「バクテリア・デ・キエーロ」というコンポストが来た。

サイトに作り方が載っていたから、作ろうとも思ったけど、まずは作っているものに触れたいと思って、取り寄せてみた。

http://www.kiero.jp/




























棒をさしているのは「この前うめたのは、ここだよ」というサイン。

この下で、微生物たちが、僕達が食べたものの残りを食べている。

そう。

食べたあとのものを「生ゴミ」と呼ばなくなった。

江戸時代までは、ゴミという言葉はなかったらしいですね。

循環するという意識が前提にあった暮らし。

そういう意識が土台にあった暮らし。

野菜や野草を刻んだりしながら、「これはあいつら食べるかな」とか考える。

流しにホーローをひとつ置いておいて、皮やヘタや腐ったところを入れておく。

数日入れて、発酵と腐敗を少し進めてからキエーロに入れたほうが、微生物たちにとっては食べやすい。

少ししっとりさせてあると、乾燥しているより、食べやすい。

入れる時は、移植ゴテ(シャベル)で細かく刻んでおいたり、少し水をかけたほうが、食べやすい。

とかなんとか。

微生物と共に生きてるんだなーという実感を増やすには、コンポストはおすすめです。

僕の中では、味噌づくり、漬物づくりとセットで、微生物のごはんづくりをすることが、バランスとしてもとても素敵と思っています。



































2018年5月12日土曜日

河原はエッジ。ギフトが眠るレインボーゾーン。

今日は、町で出来るファーマー的生活の続き。

ゲリラガーデニングという言葉がある。

僕はこの言葉と概念が好き。

土地については、所有、という概念が染み付いている気がするけど、
本来は人間のものではないから、その土地を切ったり売ったりしようとしても、
どこかに「はみでる部分」とか「あいまいな部分」が出来る。

そういうところを「エッジ」とか「グレーゾーン」とか「レインボーゾーン」と呼ぶ。

ゼロ円地帯と呼ぶ人もいるね。坂口恭平くんとか。

河原はそういう感じがすごくする。

工房から徒歩5分の淀川。

そもそもこの川、過去は氾濫しまくっていたので、地形自体もよく変わる。

過去の地図を何枚か持っているけど、川の形も変わっているし、一時期は、うちの工房の当りまで水没しているし、そうでなくても多くの時は湿地か田んぼ。

だから、中津のあたりは、地権、という概念が通じにくい土地なんだろうな。

で、河原。

ここにはテントがいくつか張ってある。

河原を歩いていると、明らかに誰かが世話しているっぽい生態系が散見される。

かっこよく言うと、コンパニオンプランツ。

果樹に、多年草に、蔓性の植物に、ハーブに、ちょっとした野菜。

そして小屋。

なんて贅沢な暮らし。

食べられる庭、エディブルガーデン。

金銭を伴わない、ギフトエコロジー。

そういう、アーバンパーマカルチャーのパイセン達の姿に触れているうちに、
河原が餌場として見えてきた。

今年も、よもぎを随分摘んできた。

よもぎを摘むことを4年続けてみてわかったのは、
昨年摘んだ場所のよもぎが、とてもたくましく育っているということ。

よもぎを摘んで活用することで、自分たちの生命がたくましくなり、
よもぎコミュニティ自体も、摘まれることで(乱獲はNGだろうけど)たくましくなる。

今年は、
よもぎ染め、
よもぎ足湯、
よもぎ風呂、
よもぎジェノベーゼ、
よもぎお焼き、
などを楽しんでいる。

そしていまは、毎日コツコツ、天日干し中。

からっからに干したら、枕に入れる。

よもぎの枕は虫よけになる。

これを、今年の夏の枕にしようと画策中。



2018年5月11日金曜日

元はファーム、今は草叢。都会の農耕と狩猟採取。

5月5日立夏。

マルシェの間、工房斜め裏の畑に、行ったり来たりを4回。

ここは元々、コミュニティファーム。


主に近所の人たちが小さな一畝づつを借りていた。

その前は、ここは長屋だった。

でも、僕がここに移ってくる直前、今から7年前くらいに放火にあって長屋全焼。

今、長屋は壊したら、建築基準法などの影響で、再び建てられない。

それもあって、この辺でも、いったん古い建物を壊したら、駐車場にしたり、ビルやマンションやコンビニにしたりして、少しずつ雰囲気が変わってきている。

実際、十三の駅前の古い建物は放火にあって、その後、「復興を支えます」という看板が立ったけど、その看板に載っている企業の名前は、ほぼ全部、外様大名(多国籍企業)ばかりだった。

で、元々の建物に入っていたテナントは立ち退いて、なんだか新しい、地元っぽくないお店がやってきた。

クラッシュ&ビルド、という言葉を思い出す。

人為的に災害を起こしたり、人為的に内戦を起こして、そこに後から入って復興に関わって、そのままそこに居ついて、経済を動かす力を得て、時には政権もとる。

これは世界中で起きている、侵略とか進出を行う上での典型的手法。

そんなことになったらやだなーと思ってたら、畑になった。

なんか、屈しない人達って感じで、僕はとても好きになって、(たぶんそんなこと意識してないと思うけど、そこも含めてとても好きになって)、絶対この畑を借りよう、と思った。

賃料が高くても安くても、とにかく、その取り組みと心意気に、僕からもお金とエネルギーを乗せたいと思った。

で、僕はオープンからクローズまで、4年間くらい畑をしていた。

藍を育てて染めたり茶にしたり、大豆を育てて味噌にしたり、麦や人参やトマトやキュウリやオクラを蒔いて、育てて、食べたりしてた。

育てるって言っても、ほとんど観察してただけだったけど。

虫に食べられたり、周りの草に負けそうになっても、何が起きても基本的には「このあとどうするのか、見てみたい」となって、芽が出てから種をこぼすまでを観察するのが好きだった。

もちろん、生命的本能だと思うけど「今、こいつを食べたい」と思う時は、摘んで、食べた。

後半はハーブだらけだった。

僕の借りている畝には、ヤロー、ホーリーバジル、フェンネル、などなどが勢力を広げていった。

小さなコミュニティファームだったけど、始まったら、蜻蛉も飛ぶようになったし、蜂もたくさんの種類がいたし、てんとう虫や地を這う虫も多種多様。

虫や鳥が、それぞれ数十種類、数百種類来るようになったと聞いた。

最初はどっから来たんだ!?と思ってたけど、、

あとからしみじみ思ったのは、みんな、待ってたんだなーってこと。

人間がアスファルトを剥がして、土の上に立つようになることを、ただ待っている。

彼らは絶滅したんじゃなくて、待ってたんだな、とか、勝手なことを思うようになった。

今もその気持ちは消えてない。

絶滅したと言われている生き物たちは、彼らが生きるのにいい感じの環境が戻ってきたら、また帰ってくるんじゃね?と思ったりしている。

だから、不在を嘆くだけでなく、再会を祝える場を作っていきたいなと思ったりする。

人が蒔いた種から育った植物が落としたこぼれ種からも、この間、色々出てきた。

勢力広げまくったのは大葉とパクチー。

彼らはもう完全に野生化してるし、味もちょっとずつ変わってきている。

何かが混ざっているね。なんだろう。

あと人参も、こぼれたり、あと、たぶん猫などの獣の毛に付いて広がったんだろうけど、飛び地的に広がっていったし、その人参たちが先祖返りしたっぽい感じで、人参ぽい何か、も増えた。

そんな感じで、小さなファームだったけど、僕にとっては充分、箱庭療法的に、癒されたし、植物や、土上や土中の虫、動物達と触れあう時間の継続に、リハビリしてもらっている感があった。

しかし、、借り手が思うように増えず、経営難から、このコミュニティファームは一昨年の夏で閉まってしまった。

経営をしていた方からの最後のメールは「賃料は来月まででいいです。その後は、この場所が残っている間、今まで使ってもらった方は、自由に利用してください。」

というものだった。

僕としては、この畑を使って収穫祭とか、ブッフェとか、企画できたらと思っていたけど、ちょっと間に合わなかったという感じで無念さもある。

そして、この無念さをしっかり味わって、これからもこういう取り組みが行われるように、次につなげていきたいなと思った。

そしてその一昨年、秋にはほとんど誰も来なくなった。

冬には本当に誰も来なくなった。

なんでそれを知っているかというと、この畑の向かいに住んでいるおばあ達が「草刈りしてない状態だから虫がすごくたくさん来てて、家の中にも入ってくるからちょっと困っている」という声を聞いて、ちょくちょく草刈りしにくるようになったから。

このファーム、入るのに鍵がいるから、誰でもは入れない。

誰でも入れないけど虫はいる。

その声を聞いてしまったら無視はできない、ってことで、善意というよりは、気になってしょうがないから、その秋以降、自分の育ててきた畝でハーブを育てたりしながら、たまに草刈りしては、野生化している野菜や野草を摘んで帰るようになった。

ぼうぼうと生え盛る草原のような元畑に入って草を刈るのは複雑な気分。

自然に帰ろうとしている流れに逆らうかのように一人鎌を振っている。

自然回帰に抵抗する最後の農民、みたいな気分にもなった。

このファームがクローズしてから、野生化する自然とひとり通う自分、という関係性になってから、学びや気付きがよりいっそう深まった。

人為的、と、自然、ということについて色々思うようになったし、
近所のオバアたちの気持ちと、新たな生態系を営もうとしている虫や植物の動き。

そして、いまだにここを餌場と思っている自分。

自分も含めて生態系。

自分の意志や本能に敏感でないと、このすさまじいまでの動植物たちの「繁殖する」という意志と釣り合いが取れない気がしてきたし、「借りる」とか「規約がある」とか「囲われている」という中にいる間に受け身になって停止していったっぽい、思考や感性の一部が、くすぐられたり、揺さぶられたりしているような気がする。

間違いなく今は「コミュニティファーム」ではない、名のない、何の意味付けもないこの場所に居ると、なんでここに出入りしてんの?と常に聞かれているような感覚になる。

この、モヤっとした感じが、理屈抜きにここに立つとワクワクする、という本能的な感覚が好きで、これからもここに意識がログインした状態で日々を過ごすことになるんだろうな。

そんなこんなで、なんだかここでただ栽培をするという気持ちにはなれなくなっていって、どちらかというと、農耕ではなく狩猟採取をメインにするように、ここに出入りするようになって2年がたった。

近所のおばあの声を聞いて草を刈ることはやめたくない。

コミュニティファームとして存続していた時は、たぶん多くの人にとってここは素敵な場所だったのに、終わりの方のイメージが「ほったらかしになっていて、家にも虫が入ってきて迷惑だった」になってしまうのはせつなすぎる。

こういう取り組みは、試行錯誤の連続だと思う。

成功も失敗もないし、やったらやっただけ、すごいことだと思う。

いいチャレンジだったね、という形で幕を閉じられたら、また次のチャレンジが生まれる可能性が増えると思う。

僕は、何の責任も気負いもなく、ただ、そういう幕の閉じられ方を個人的に望んでいるから、その望みを現実にするためにも、草刈りくらいはたまにやりたいなと思う。

あと、ここにいると、おばあが話しかけやすいみたいで、この前もスペアミントとパクチーと野ばらを山分けした。

あとは、町の中で出来る農耕と狩猟採取について、実際に鎌を持って、土の上に立って、草や虫と向き合いながら、その土の上で悩みたいし、問たいし、応じたいし、気づきと経験を得ていきたい。

ということで5月5日、土用が開けたということもあったし、1ヶ月ここを離れていたこともあって、マルシェ中の多くの時間を、この草原で過ごした。

お招きしたい友達がたくさん来たから、ひとりひとり連れて、一緒に野草や元野菜を摘んだり、草刈りしたり、野ばらやアロエを植え替えたり、していた。

パクチーを根ごと摘んで、マルシェの会場の向かいにバケツに水を張って置いてみた。

こういうのをギフトエコロジーの実感っていうんだなと思った。

自然は、見返りを求めるどころか、「これをあげる」とか「貢献する」というところもなく、淡々と、何かをもらったり、あげたりしている。

そして、その輪の中に、自分たちも存在している。

食べていいし、その糞尿を戻してもいい。

食べて残ったものは、コンポストに入れて、分解されたらその土で野草や野菜を育てる。

お互いが生きていることがお互いが生きることに自然に貢献しあっているっぽい感じ。

畑の中にどっさりいたパクチー、ぎゅうぎゅうだったところや葉っぱに栄養がいかなくなりかけているのを中心に、けっこうどっさり摘んできた。

それを、マルシェに来たみんなにおすそ分け。





出店していた「むすび食堂」のたかみちゃんは、このパクチーを早速使って定食を作ってくれた。

こういう柔軟さ大好き。

既存のレシピにとらわれず、その場にあるものを大事に、即興でごはんを作る。

大正時代までの料理本には、グラムや時間などのレシピはなかったらしい。

レシピを作る料理家は人気を得るし、彼らに従うファンは増やすけど、自分で感じて考えて、その場にあるものでごはんを作れる人を増やすことになるのだろうかという問いが再来する。

なにはともあれ、ここの空気を吸って、ここにも飛来する虫が糞をする中で育った、徒歩30秒の草叢からの野草をいただけることは有り難い事。







根ごと摘んできた野草や香草、苗ごと持っていって、植え替えてくれた人もいるだろうな。

そうやって種が運ばれていく。

都会に居ても、そこは自然界の一部。

花壇、プランター、コンポスト、動植物たちとのつながり方について、工夫できる余地がたくさんある。

エッジ、隙間、名のつかぬ、曖昧なエリア。

ここをどうやって活かせるか。

楽しく、クリエイティブに、いろんなことが出来るはず。

トンチとユーモアと、近所との関係を大切にする気持ちに水をやりながら、色々できるはず。

近所の中にはもちろん、猫やハクビシンやカラスや蜂や蜻蛉や蚯蚓も、腸内細菌も、色々いますから楽しいですよね。

#OsakaUrbanPermaculture






2018年5月10日木曜日

放射性物質と共に生きる今、について


放射性物質の放つ強いエネルギー線は、細胞組織を破壊する力を持つ。

あらゆる物質が放つ電気と磁気を帯びたエネルギー線(総称して電磁線)を測る単位はev(エレクトロンボルト)。

人体を構成する物質の放つ電磁線は平均して4ev7ev

一方、ウラニウムに中性子線が当たる事によって起こる核分裂反応によって生まれるセシウム137Ce137)の放つ電磁線(放射線)のエネルギーは、約66ev

セシウムを体内に取り込むことで、人体を形成する細胞間でやりとりされているエネルギー量の数十万倍のインパクトのエネルギー線が照射され続けることになる。


そのインパクトが徐々に収まって、私たちの肉体が、細胞組織を破壊することなくそのエネルギーを受け取れるようになるまで、寿命がいくつあっても足りないくらい時間がかかる。

人体の中に取り込まれた放射性物質と呼ばれる微小鉱物達は、血中で、または内臓の中で、このような強いエネルギー線を放ちながら、分子レベルでインパクトを与えている。

たとえば分子を構成する陽子(+)と中性子(±)の周囲を回る自由電子(-)は、これら人工放射線を浴びることで吹き飛んでいく。

放射線を浴びた分子は、自由電子があることで保たれていたマイナスイオン状態からバランスを崩し、電位が不安定な状態のまま、周囲を急速に酸化させていく。

このような状態を、被ばくの人体に与える影響についての研究の世界では「フリーラジカル状態」と呼んでいる。

酸化は、短期においては「疲労」として実感できるし、長期においては「老い」の促進とも関連してくる。

疲れやすくなったり、病気に掛かりやすくなったり、動くことが億劫になったり、老いが進んだり、その人ごとの体質やライフスタイルによって、様々な形で影響が出てくる可能性がある。

放射性物質や、化学物質、抗生物質といった自然界に存在する物質とは異なった電位バランスで存在する物質が体内に取り込まれると、細胞組織の酸化を促進する影響を及ぼす。

こういった物質を解毒、分解、排泄する際に発生する活性酸素も、身体を構成する組織を急速に酸化させる要因になる。

セシウムは、ミネラルとしての性質がカリウムと似ているので、カリウムが溶け込みやすい血中に広がっていく。

強い放射線を放ちながら、血中の分子に働きかけ、フリーラジカル状態の物質を増やし続けながら、血液の酸化を促していく。

そして、血流に滞りがある箇所や、弱っている箇所、負担がかかっている箇所に、何らかの影響を及ぼしていく。

腎臓に、肝臓に、心臓に、脳に、甲状腺に、生殖機能に、遺伝機能に、免疫系に、様々な影響が及ぼされる可能性が認められている。

アメリカの研究機関や各種の学会の中では、放射性物質の内部被ばくによる影響を総称して「不定形性症候群」と呼んでいる。

形を定めることのできない、色々なことがおこっている。

ひとりひとりのライフスタイル、放射性物質以外に摂取しているもののバランス、内臓の状態などと結びつき、絡み合って、様々な影響が姿を現してくる。

放射性物質が大量に増えた世界の中では、今まで以上に酸化還元が必要だ。

酸化を還元するもの。

抗酸化作用のあるもの。

抗酸化ミネラル、アミノ酸、酵素、食物繊維、各種の善玉微生物やカビやビタミンを、もっと。

そして、酸化を促進するような物質の摂取を控え、酸化を促進するようなライフスタイルを改める事も必要になってくる。

セシウムを採っているその量が増えたなら、それを踏まえてバランスを取り直さなければ、今まで通りにはいかないだろう。

冷えやすくなる。

集中力が続かなくなる。

立っていられなくなる。

座っていられなくなる。

世界で最もたくさんの被ばく者を診てきたと言われる肥田舜太郎医師は、相談に来た患者さんが時間が経つに椅子に座っていられなくなり、最後は床につっぷしてしまうという事が相次いだと話している。

チェルノブイリ原発事故の後、近隣の住民の中に「被ばくしている状態で白砂糖を取ることで、放射線の影響が促進されるので、控えるように」という情報が流れた。

精白され、ミネラルの抜かれた白砂糖の持つ、体を冷やす力、酸化を促す力と放射性物質の力が組み合わさることで、その影響力が高まっていく。

精製食品全般、化学物質、抗生物質も、同様の力を持つ。

これらの力と放射性物質の持つ力が組み合わさることで、それぞれの働きがさらに促進される、このような効果を「カクテル効果」と呼ぶ。

私たちは、前よりセシウムを食べているし、吸っているし、飲んでいる。

そこにさらに白砂糖、化学物質、抗生物質を今まで通りに摂取していたら、血液はよりいっそう酸化し、体は冷え、気だるく重い状態になってしまう可能性がある。

いつまで続くかわからない福島第一原発事故後の収束作業に従事する人達の数は20172月の時点でのべ56万人(被ばく労働相談センター調べ)。

その数は、増え続けていく。

養生は、求められ続けていく。

ウラン核分裂によって産まれた、新しい鉱物達の激しい産声の響く新しい世界の中、せめて命の本能である「生存したい」という思いに対して、誠実に貢献する養生食を作り、分け合うことを続けたいと思う。