2018年7月16日月曜日

皐月の満月の畑

6月28日、皐月の満月。

皐月の「皐」は田んぼの神様という意味。

皐月は、人も神様も微生物たちも、田んぼや畑を行ったり来たりしている。

私たちみそ部の定例活動日は新月前日ですが、今月は新月満月問わず、活動が盛んです。

『ハッピーヒル』というお米の種を入れた泥団子を、市川ジャンさんが作った。

これをこの春、畑の水路に蒔いた。

ちなみにこの水路は元々、数十年前に入れたのであろう塩ビ管の影響で、土が酸欠状態になっていて、空気や水の流れがかなり滞っていた。

土壌微生物達も「死にはしないけど、暮らしにくい」と思っていたっぽい。

ということで、昨年の春に、この塩ビ管を抜き取って、溝を掘って、ガスと水を流すための世話を続けてきた。

そして「この水路に稲を植えちゃおう」となった。

植えて、収穫して糀を付けられたらいいね、と話していた。

昨年はここに、苗代で育てた稲を手植えして、今年は泥団子をまいた。

そして、この泥団子が絶好調。




ジャンさんも「もう苗床作らないで、毎年泥団子だけ作ろうかと思うくらいだ」と言うくらいに、絶好調。

そしてこれらを株分けして、水路に、約40センチごとに植え替えた。
(約40センチというか、鋸鎌一本分。長さは畑道具で測ると便利です。)






そして、パクチーの種取り。

種を付けて枯れていく姿の美しさにしびれる。







そして、この畑のボスとも言える栴檀(せんだん)の巨木の根本に蒔いた人参が、花を咲かせていた。

今年は、この人参たちの根っこを収穫することはせず、種を採ることになった。

種を蒔き、種を取り、ふたたび種を蒔き、みのり、そこでようやく収穫する。

一年草を、二年かけて育てて食べる。

もちろん、食べられるかどうかは、来年にならないとわかりませんが。






人参の種は、ふさふさ、とげとげしている。

動物たちが、その毛に種を付けて、知らないうちに運んでいる。

植物たちの意志によって動物たちが働かされる、という関係。

食物連鎖は上下関係でなく、上下左右スパイラルに。

植物の上に動物がいるという実感は、ここにいると生まれにくい。

様々な角度からそれぞれの意志がビームのように飛び交い、織物のように巡っている感じがします。





夏至前に蒔いた黒大豆は、大きさも様々に育っています。




時折、なんでこんなにでかいの?っていうのもいます。
奔放に育てると、個性の違いがはっきり出ますね。





そして、カラフルなホピコーン(アメリカ先住民の栽培しているコーン)が、元気に根付き、育っています。





コーンはタフですね。
ネイティブアメリカンの世界には「ポジティブな批判は、コーンに吹く風のようなもの」という言葉があるそうです。
これは、風が吹けば吹くほどに、コーンは大地に深く根ざしていくという意味だそう。






そして、上述の水路に植えた真菰(まこも)も順調に育っております。
地下のことは目に見えないですが、根もだいぶ広がっている様子です。



皐月をすぎ、間もなく旧暦の上半期が折り返す。
太陽の力も、夏至をすぎて折返し。
育つ時期から、実る時期へ、緩やかにシフトチェンジ。

地上で、地下で、色々な命がせめぎ合う夏ですね。

2018年7月2日月曜日

庭の再生、手仕事の再生


今年に入ってから、伊丹にある15年間空き家になっていた場所の再生をしている。


庭全体を「大地の再生」によって水や風の流れを通しつつ、6月は玄関サイドの整備に取り掛かり始めた。

よくある玄関周りの松って、ちょっと窮屈そうよね。

大地の再生やるようになってから、地中の根っこが透けて見えるような感じになってきた。

地表を鏡のようにして、上に出ている部分と下に隠れている部分が対になっている。

松の葉っぱが枯れかけていたり、枝に葉が付かなくなっている時、地中でも根が詰まっていたり、呼吸できなくなっていたりしている。

アスファルトやコンクリート、踏み石などによって根っこが窮屈になっている感じ。

こういう時、「側溝」を掘ったり「点穴」を掘ったりする。

今回は、点穴を掘った。





















ここからガスが抜ける。

土が呼吸する。

土壌微生物が呼吸する。

根っこに空気と栄養がいくようになることを期待して、穴を掘る。

そしてそこに、隙間ができるように炭を入れる。

炭は微生物の住処にもなる。


踏み石の周りも、土がカピカピになっていて、呼吸ができていない感じだったので、細い側溝を掘って、炭と枝を入れる。




そして踏み石の周辺を掘っていたら、でっかいコンクリートの板がたくさん出てきた。

よかれと思って、コンクリートをどっさり埋めていた様子。

これで松の根が呼吸できなくなっていたということがわかった。



ということで、このコンクリートをハンマーで割って、剥がして、その上に炭や葉っぱや枝を敷いて、呼吸のできる土にした。




















これで様子を見てみよう。

枯れかけている松の葉が再生してくるかどうか。

葉がつかなくなった枝に葉がつくようになるかどうか。

じっくりゆっくり観察しよう。


この日は、市川ジャンさんと二人で庭で作業とおしゃべり。

そして女子たちは家の中で染め。

この家の持ち主(住んでいた老夫妻の娘)は元々藍染めをされていた、ということ。




でも、もうずいぶん前に辞めていたそう。

でも僕たちがめっちゃ興味をもって「今度一緒にやりましょうよー」と言ったことをきっかけに、この日、一緒に染めをすることに。

糸を使った絞りは本当に繊細で丁寧。

この技術、こうやって直接受け継いでもらえるのは本当にありがたいこと。

家の中では手仕事の再生が静かに起こっていた。








そして、着なくなった服が綺麗に染め上げられて再生されていく。








あるものを大切に。

あって当たり前から、ありがたしのマインドへ。

出会いの機会、創造の機会を、意識的に創っていきたい。

ひとつひとつ、じっくり丁寧に。

















2018年6月12日火曜日

踊りと染め




この下駄は、岐阜の郡上の「郡上木履(ぐじょうもくり)」の諸橋君が作ったもの。

彼とは愛知県春日井で行われた茜染めワークショップをきっかけに出会った。

その後、この3年間、郡上踊りという伝統行事に合わせて、徹夜で踊っても大丈夫な下駄である「踊り下駄」の鼻緒を染めさせていただいている。

この鼻緒は、昨年染めたもの。



郡上木履(ぐじょうもくり)http://gujomokuri.com
郡上踊りで使われる下駄の企画・製造・販売。 「メイドイン郡上」にこだわり、郡上の山で育ったヒノキを活用し、 木の削り出しから鼻緒すげまで、一貫して郡上内で行う。 主に、「踊り下駄」と呼ばれる踊りにも使える丈夫な下駄を制作。 郡上の下駄文化を守り、発信する郡上発の下駄ブランド。

伝統的な仕事は、連携が大事だとしみじみ思う。

木こりがいて、鼻緒を染める人がいて、下駄を作る人がいて、履く人がいる。
そのひとりひとりが、直接つながってやりとりできている関係。

その輪の中に、伝統が残る。

実際、下駄の鼻緒のための布の染めの依頼内容は、染める身にとって、とても理にかなったもの。

長さ:約160センチ × 幅:約35センチ〜37センチ を10本染める。

幅は、ちょうど一尺。

一尺は肘から手首までの尺骨の長さ。

日本では、染や織りの作業がしやすいよう、この、いわゆる腕の長さに合わせた幅の布(小幅の布)が使われることがほとんどだった。

着物も作務衣も股引も浴衣も、そして下駄の鼻緒もこの小幅でつくられる。

そして長さも完璧。

この長さの布を10本とると、ちょうど一反になる。

一反は、当時の女性の着物を一枚作るための面積をもとにした単位である。

僕は生地を一反単位で仕入れる。

この生地は、10枚に折られて工房に届く。

これを折られたまま切るだけで、諸橋君からのオーダー通りの生地が出来上がる。

連携がとってもスムーズ。

生地を織る人、染める人、鼻緒にする人が、同じ伝統の中にいることで、お互いの仕事を楽にする。






このサイズの布は、たらいにぴったり収まる。

最近は、一日の仕事の半分を執筆、半分を染めに当てている。

手を動かすこと、同じ作業を反復し続けることが、頭と心と体のバランスを整えてくれる気もしている。

1回1時間くらいの、すすぎ、媒染、すすぎ、染め、すすぎ、の工程を5回〜8回繰り返して、一枚の布が仕上がる。

これを10本。

踊り続ける人たちのために、染め続ける日々。







自然出産を勧める吉村医院では、産前に一日300回のスクワットを勧めている。

一日5時間位染めていると、重たいたらいを運んだり、布を上げ下げするうちに、スクワットはその数を越える気がする。

「世の中に踊らされるな。自分の踊りを踊れ。」

と言っていた人が何人かいたことを思い出した。

思い出しながら、踊るように染めている。




2018年6月11日月曜日

醸し人との出逢い

先日、初めて東海醸造の本地さんと会えた。

いきなりですが。

東海醸造は、三重県内で唯一といっていい、伝統的な作り方で長期熟成豆味噌を作っている蔵。

長期熟成豆味噌は、2メートル以上の高さの木桶で、2つの夏と2つの冬を越えて仕込まれる。

時間もかかるし、1回に作る量も多い。

つまり、リスクがある。

人件費も光熱費も、その年月分かかるし、材料費もかかる。

そして、売れるかどうかは、3年以上経ったあとになって初めてわかる。

というなかで、たくさんの豆味噌蔵が、経営不振で閉じられている。

その速度は、想像していたよりも急速だった。

「蔵を閉鎖するから、使わなくなった木桶を引き取ってくれないか」という相談が、東海醸造の本地さんの元に入る。

そういうことが、年々増えているという。

仕込む前に、買う人の顔が見えている関係が、昔はあったという。

みんなが味噌を食べていたし、味噌蔵と縁を持っていた。

マーケットでチョイスするものではなく、「私は必ず買うから、安心して仕込んでね」と言っていた関係。

「なんなら先にお金払っておくよ」と言ってくれる人がいた関係。

そういう関係性のなかで、味噌が仕込まれていた。

そういう関係を心から取り戻したいと、とても強く思っていた。

だから、本地さんと会えたのはとってもうれしい出来事だった。

何ができるか、ということもあるけど、とにかく人として繋がれてよかった。

また会えるということも明確になったし、この縁を大事にしたいと思う。

この日は、百聞食堂というすてきな取り組みの中でやっている、東海醸造の協力で、みんなで大豆を育てて、長期熟成豆味噌を仕込んで、その味噌をわけあうという取り組みのクライマックスのあたり、「じっくり寝かした木桶から重しの石を外してみて、上の方の味噌を食べてみよう」の会だった。


僕はこの取り組みに、とても感動している。

蔵で働く人ではなく、味噌蔵や長期熟成味噌を思う多くの人たちが、実際に自分たちで関わって、労力やお金を持ち寄って、味噌と味噌蔵の存在に積極的に関わっていく。

長期熟成豆味噌と、味噌蔵、そして味噌文化の再生を、自分たちの関わりの元に実現させていく。

そういう意志と行動力と、困難にあっても、向き合って乗り越えていこうとする気概に、胸打たれる。

百聞食堂をオーガナイズしているよっしぃさんとかおりこさんへの心からのリスペクトを送りたい。



そしてこの日は僕も、ずっと会いたかった人に会えたという喜びを隠せずに、ほぼ本地さんの元を離れずに、延々と話をしていた。

本地さんも、僕のことを知っていてくれていて、一緒にいる間に何度も、
「一緒に写真をとりましょう」と言ってくれた。



木桶から出したばかりの、酵母多めの豆味噌に、くるみなどを合わせて、炭で炙った五平餅を皆で作って食べた。

味噌蔵のまわりに、こういうコミュニティを作っていくってことだな、と思えた。


「私たちも夜は寝るし、冬は動きたくなくなる。微生物たちも、ずっと工場で高温で働かせたらかわいそう。冬は休んだほうがいいし、そのほうが夏に動ける。」

本地さんが味噌を語る言葉に、我が子を思う眼差しを感じる。

微生物のことを、まるで赤子のように扱い、かわいい我が子のように扱っていることが伝わってきた。

子供のような純粋さをそのまま持っているすてきな醸し人。

こういう話を、理解できるひとりでありたいとしみじみ思う。

味噌と味噌蔵とのご縁を、大切にしたいと改めて思った。

味噌と味噌蔵の文化を支える、関わる、当事者として、生きていたい。

シンプルに、そのことをはっきり感じる逢瀬だった。

心から尊敬しています。

愛にあふれる醸しをありがとうございます。







2018年6月9日土曜日

発酵と執筆と夢

ここのところ、微生物と味噌についての本ばかり読んでいる。

土壌微生物、粘菌(変形菌)、発酵食、味噌。

そして、酵素の仕組みとはたらき。

読んで読んで、噛んで噛んで、なるべくわかりやすい形で、を目指して執筆中。

子どもが生まる前に、書けることは書き切っておきたい。






今、みそについての本を書いている。

仮タイトルは「いのちとみそ」。

この本を書いたら、そのあとに「命と核と味噌汁」という本を仕上げるつもり。

そしてまずは、みそにテーマをしぼって書いている。

書く!というモードに入ると、めっちゃ本を読むようになる。

暦の本を書いた時も、古文書から雑誌まで、読みまくった。

写真にある本たちは、本当にどれも素敵。

書くという行為は、受け取ったものを咀嚼して、消化して、そこから新しいものを生み出すってことなんだろう。

書いている原稿を読んでいて「僕から生まれたもの」ではないという感じがする。

今までの、誰かの経験や気づきや発見を受け取って、咀嚼して、自分なりの感性や感覚やロジックで、整理し直してアウトプットする。

そうやって、命が廻るように、発酵の連鎖のように、伝えるという行為は再生され続けていくような気がする。

僕が初めて本を書いた時のテーマは、原発のこと、核のこと。

その時も同じことを思った。

たくさんの素敵な本に出会って、僕はそれらをいっぱい読んだ。

でも、僕の身の回りの友達にそれらの本を貸しても、読んでくれる率は高くなかった。

むずかしい、とか、表紙がこわい、とか。

「えー。そんな理由で読まないのー。」
とも思ったが、それより強く思ったのは
「じゃあ、君が読めるものを僕が書くよ。」
ということ。

僕なりに「伝わったらいいな」と思うことを、僕なりに噛み砕いて、言葉にして伝え直す。

そうやって、素敵なもの、伝えたいものと、伝えたい相手の間に入る行為が「メディアになる」という行為なんだろうな。

ということで、みそのこと、書いてます。

間も無く原稿自体は仕上がるでしょう!



昨日はこの2冊を読んでいた。

そして、右の本の筆者である小倉ヒラク君が夢に出てきた。

なんか二人で雑談している夢だったんだけど

「発酵は意志によって行われる」

と言っていたのが印象的だった。

発酵と腐敗の境界線は曖昧。

どちらも微生物の持つ酵素による化学反応。

発酵は、その中の「人間にとって有用な化学反応」のこと。

たまたま生まれた発酵食品もあるだろう。

でも、それらを受け継いだり、発見したものをバージョンアップさせたりしてきたのは、うん、確かに、意志だね。

ひとりひとりの生きる意志が、発酵文化を継いできた。

発酵のかなめは意志。

ヒラク君、まだ会ったことないけど、本の中と夢の中の印象で、かなりリスペクトしてます○

2018年5月31日木曜日

野生と栽培の狭間にある人参



これは人参の花。

人間の蒔いた種から始まった中津生活を何世代か経て、今は野生。




ここは工房の斜め裏にある”元”コミュニティファーム。

今は、手付かずの空き地状態。

僕は時折入っては、野草化したハーブや野生化した野菜を採取している。

あと、一応、栽培していると言っていいのか野放しにしていると言っていいのか、
という感じでヤローとフェンネルの世話をしている。

スペアミントは相当ワイルドでごつくなった。

色が濃くなり、香りも強い。

パクチー(コリアンダー)はその勢力を年々広げ、村のような状態になっている。
(草むらとはよく言ったものだ)

人参は、僕も含めて数人が育てていたもののこぼれ種から野生化しているので、
今や「誰が親だったか」的なことは曖昧になっている。

人が運んだ種から始まった一年目を経て、そこから種がこぼれて野生化して、そこから三年〜四年くらい経っているので、花の形も以前と変わってきている。






この草むらに出入りしていると、時折り近所の女子たちが声をかけてくる。

先日は、商店街の酒屋のおばあが、草むらの角に咲いていた野ばらを見て、
「これ、もらえないかな」
というので
「もらっていいんじゃないかな」
と答えたら、時間があったら取ってきてほしいと頼まれた。

ここの女子たちは頼み事がうまい。

そして僕は、彼女はもらった苗をとても丁寧に育てるということを知っているので、
野ばらを渡しても弱ることはなくて、むしろ可愛がられて嬉しいんじゃないかなとも思って、快く引き受けた。

そうやって野ばらを採取して渡したら、今度は「あの白い花がすごくきれいで」と言う。

また頼み事?と思いながらも、きれいなものを見たり「きれい」というコトダマを使う機会があること自体とても素敵だと思ったし、その無垢さも素敵だなと思ったし、何より、その花を切って捨てるわけじゃなくて、大事に育てるんだろうと思ったので、またもや草むらを分け入って、根ごと抜いて酒屋に持っていった。






そして、野生化しつつある人参の根が、あまりにもかっこよかったので、思わず何枚も写真を撮った。

人参の地上部分は茎も幹も太いし花もでかい。

そして、これだけごつい地上部分を支えているだけあって、根っこの存在感はとてもパワフルだった。

そして、人のようだった。

朝鮮人参のような多年草の人参は、六年も経つと人間のような形になっていく。
そして、人の内臓全般によく働く効能を持つようになる。
人に参じる、と書いて人参。

野生の人参を、人は自分たちの為になるように、気に入ったものの種を摂り、それを蒔き、育て、気に入ったらまたその種を摂る、ということを繰り返してきた。

原初スタイルの品種改良の系譜。

そして、種を蒔くことをやめると、人参たちはまた自然の姿に戻っていく。

そのプロセスの途中を垣間見た感がある。

根ではなく花を愛でたいと言われ、酒屋に運ばれた人参が、花壇に咲く。

こぼれた種は猫やハクビシンや鳥に運ばれていくのだろうか。

人為と、人為を越えたプロセスを経て、植物たちは旅を続ける。


2018年5月27日日曜日

路上菜園と境界線のこと

家のまわりを散歩していたら見つけた路上菜園。









最近、家に鍵をかけるのが普通になって、セコムしたりもしている中で、盗まれたり、荒らされたりということへの警戒がとっても薄そうな感じを見つけて嬉しかった。

うちのばあちゃんが生きてた頃は、家の垣根からはみ出してなっていた柿や栗やみかんは、「このあたりになってるのは家の人が食べる分、このあたりのは誰でも食べていい分」というざっくりした暗黙のルールみたいなものがあって、私有物と公有物の境界線も曖昧だった暮らしが普通にあったんだと思う。

群馬の山の中っていうこともあったけど、ばあちゃんの家は鍵もしてなかったし(してないというか、垣根も低いし防御が不可能だったし)近所が顔見知りで普段から交流があったから、警戒心自体も低かったと思う。

そしてふと思ったことがある。

僕も工房の壁沿いに小さい畑を作って、野菜やハーブを育てていると、そのことが共通の話題になって、近所のおじいおばあと会話する機会ができる。

何かを育てる、何かを作るということがその場にあると、そこに関係性をつくるハブ(仲介みたいなもの)ができるのかもしれないですね。

垣根の外にせり出して、野菜を育てているこの空間に、たぶん、たくさんの会話が生まれているんじゃないだろうか。

人は現代、垣根や境界線を作ることで、ある意味での防御とか、安全を確保するようなデザインで生きているけど、そのラインを越えていく植物や動物の存在が(ペットがいると近所の人達と会話が増えるということもあるし)、人と人の間にある垣根を柔らかく溶かしてくれるのかもしれないですね。

境界線、国境、対立、共生、ここを通るたびに思索が進みそうです。


2018年5月22日火曜日

初夏を祝う冨貴工房マルシェ、ありがとうございます

5月5日 立夏

初夏を祝う冨貴工房マルシェ。

工房をここで立ち上げて以来、二ヶ月に一回くらいのペースで継続しています。

最近は、僕自身の結婚や妻の妊娠、産前産後の暮らしの準備や調整などが相まって、なかなか安定したペースで工房での活動が出来なくなっているので、不定期な開催となっています。

それにも関わらず、思いを持ってこの場に参加をしてくれる出店者さんや来場者さんに支えられて、何とかやってこれています。

それは本当にありがたいことです。

日々の予定が立たないので、イベントやワークショップ、マルシェといった場を企画することの大変さが今まで以上に増している中だからこそ、参加を呼びかけて、それに応じて足を運んできてくださることの有り難さが、しみじみ実感されます。

来てくれて有難う。

参加してくれて有難う。

という気持ちを再認識しています。

今回は、僕の尊敬する弁柄染め作家のぶっさんを招いて、布だけでなく、農具や料理道具を染めるWSをしていただきました。

道具を大切にするという意味でも、これらを染めるという時間はとても貴重なものと感じます。











pirate utopiaのパンは、たいてい昼食時に到着します。
今回も、到着早々行列が。
この時間帯が、マルシェのピークタイムだったような気がします。





冨貴工房マルシェの特徴の一つは、出店者として参加する人たちが、お互いの出店を楽しみにしていること。

丹波の農家さんが持ってきてくれた黒大豆の下で、八百屋のしほちゃんがむすび食堂のごはんを食べている姿がよかったので写真を撮りました。









僕は基本、マルシェの日は出店はせず、やってきた素敵なものたちを堪能したり、
のんびりしながら色々な人と話すのが楽しみ。

そして、開いている時間があるからできることを、気持ちが湧くままにするのが好き。

マルシェの時間を利用して掃除をしたり、農具を修繕したり。

この日は蓬を世話することを楽しみました。






中津は梅田から一駅。
アクセスがいいです。
マルシェが人と人の交差点のようになったらうれしいですね。






今回のマルシェでは、僕のパートナーのおなかに授かった赤ちゃんの到来を祝うサプライズがありました。

赤ちゃんがコミュニティの一員として迎えられたような気持ちになって、とても嬉しかったです。

温かい人達に囲まれているんだなーとしみじみ実感。

みなさま、本当にありがとうございます。




ぶっさんから頂いた産着は、マルシェの時間中に、可愛く染めさせて頂きました。




次のマルシェの開催は、出産のあとになります。

おそらく10月7日、産後のお休み中に、初めて赤子がコミュニティの中で交流する機会になると思います。

どうぞ宜しくお願いします。


2018年5月17日木曜日

生ゴミ→微生物のごはん。

工房の壁沿いに小さな畑を作ってもらったのは5年前。

ブロックと、漬物石を使って。

作ってくれたのは西宮に住む家を自分で建てたワンちゃんという友人。

漬物石は、ここにあったもの。

ここは元々、戦後から数十年は漬物やだったらしい。

だから、この畑の土には、戦後から続く漬物系列の菌が住んでいる。

今までで一番でかく育ったのは人参かな。

青森の苫米地さんという、六ケ所村再処理工場の建設に異を唱える農家さんのところから来た人参を、すぐには食べきれないしうちには冷蔵庫がないので、土にさしておいたら、ぐんぐん育って、花を咲かせて、種まで採れた◎

さすが、意志のはっきりした人のところにいた人参は、生命力が強いというか、生きる意志が明確というか。

あと、その後すごくインパクトがあったのは、鬱金。

鬱金は、いつ、どこから来たのかわからない。

最初は何かもわからなかったが、きれいな花を咲かせて、それでわかった。

秋ウコン。

根はずっと居るので、今年も葉を広げてくるのかしら。

そしていまは、野生の大根と、ワイルドストロベリーと、スペアミントと、野ばらなどがいる。










































そして2年前から、「バクテリア・デ・キエーロ」というコンポストが来た。

サイトに作り方が載っていたから、作ろうとも思ったけど、まずは作っているものに触れたいと思って、取り寄せてみた。

http://www.kiero.jp/




























棒をさしているのは「この前うめたのは、ここだよ」というサイン。

この下で、微生物たちが、僕達が食べたものの残りを食べている。

そう。

食べたあとのものを「生ゴミ」と呼ばなくなった。

江戸時代までは、ゴミという言葉はなかったらしいですね。

循環するという意識が前提にあった暮らし。

そういう意識が土台にあった暮らし。

野菜や野草を刻んだりしながら、「これはあいつら食べるかな」とか考える。

流しにホーローをひとつ置いておいて、皮やヘタや腐ったところを入れておく。

数日入れて、発酵と腐敗を少し進めてからキエーロに入れたほうが、微生物たちにとっては食べやすい。

少ししっとりさせてあると、乾燥しているより、食べやすい。

入れる時は、移植ゴテ(シャベル)で細かく刻んでおいたり、少し水をかけたほうが、食べやすい。

とかなんとか。

微生物と共に生きてるんだなーという実感を増やすには、コンポストはおすすめです。

僕の中では、味噌づくり、漬物づくりとセットで、微生物のごはんづくりをすることが、バランスとしてもとても素敵と思っています。