2016年11月18日金曜日

今日の妄想メモ

妄想メモ。

冨貴工房で憲法茶会とTPP茶会をやろうと思ってます。
味噌づくりの日に大豆を茹でながら、とかがいいかな。
TPP、憲法、一番やりたいのは読みあわせ会。
講師と参加者という関係を作るより、今やりたいのは「みんなが声を出す機会」づくり。
「あたらしい憲法のはなし」とか、憲法の条文や改憲案、TPPのフライヤーやブックレットなど、なるべくわかりやすく読みやすいものをゆっくり声に出して読んでみる。
音読すると、遠くにあるものと感じていたTPPや憲法が自分のものとして入ってくるようになる。
僕は噺家みたいな感じで大人数の前で声を出す事が多い。
そのたびに、他人の言葉が自分の中に刻まれていく。
そういう体験をみんなで分かち合えたらと。

暦WSも工房で1回もやってないのでやってもいいな。
身の回りに陰陽や五行で心身環境を語れる人が増えると色々楽で楽しくなりそう。いい食べ物、悪い食べ物なんてないし、そのようなイージーで表面的なジャッジをしていると、逆にそれぞれの食べ物の性質や効能を掘り下げていく意識が生まれにくい。「レッテル貼り」でわかった気になって終わり、みたいな感じは残念。
セシウムにも、白砂糖にも、ブッシュにもトランプにも裁きを与えるより、よく観察して理解を深めたほうが付き合いやすくなる気がする。ってことで暦。これはまだしっくりは来ていない。腑には落ちていない。から、すぐはやらない。
やらないけど「やるっていうのもありかな」とちょっと思い始めている。なんせ、旧暦や陰陽や五行を使いこなす為にはその言語で会話する機会が大事だから、そのような言語を学ぶ「英会話セッション」みたいな機会は、もっと増えるといいなと妄想中。

工房でのWSはなるべく全て値段設定なしの自由料金でいきたい。
参考になるのは「カルマキッチン」の取り組み。
(ご自身でググってみてください。)
金額を決める人とその金額設定の背景や根拠に共感している人が共鳴している関係は美しい。嬉しい。
でも、その金額の背後にあるものをいちいち説明しなければいけないのは疲れる。お茶やご飯も一緒。なぜ自販機で買うジュースは120円なのか。なぜオーガニック・スムージーは600円するのか。理解と納得と共感を持ってお金を払ってほしいし、お金を支払う事を「消費」ではなく「投資」として認識しあえたら、すべての「お金を使う行為」は社会作りのムーブメントになる。理想と現実の間に横たわるギャップを踏まえた上で、自分の中にある違和感や「こうしたいな」の気持ちには正直でありたい。

工房での、僕主催での染めワークショップは今後徐々に減らして、いずれは辞めていく。
ワークショップって「教える側」と「教わる側」の関係を固定してしまったら危険。
ワークショップって「工房」とか「共同作業所」って意味だから。
ひとりひとりが、主体性と積極性と「場全体に対するメンバーとしての責任感」が寄り集まってこそ、ワークショップは本当の意味での「共同作業所」になるのだと思う。
三宅商店の面々に染めのノウハウをシェアするのは面白い。
彼らは「教わらずに自分たちだけで染めをする」事を明確に意図して、ビジョンを持って気概満ち満ちで取り組んでいるから。
僕の最近の染めはこんな感じなんだよねー、最近こんな工夫をしてるんだよねー、という感じで「同志と切磋琢磨」という感覚がはっきり持てて有意義。
各地でコミュニティを作っていて「自分たちのコミュニティで物づくりをしていきたい」という気概を持った人達の集まりの中でやるのも面白い。
ワークショップが必要無くなる未来が見える中でやるワークショップは面白い。いつまでも染めの先生を演じなければいけない感じがしてしまうと、僕はその関係性に面白みを感じなくなるし、残念な気持ちになってくる。
非常に微妙な紙一重。

染めについて独自に探求することで得られるものが多いと思うし「教わらないとできないもの」という考えは危険だとも思っている。
と同時に僕は「草木染」という言葉を作った山崎家の三代の染色家達の作法から学ばせてもらっているし、染め司よしおかの吉岡幸雄さんに対する畏敬の念が、常に背筋を伸ばさせてくれていると感じているし、各地で染めで生計を立てている同世代から学びと刺激を受けている。
そして一方で、僕はみんなで染める楽しさもあると思うけど、基本は一人でじっくり染める時間に気づきと学びと感動の深まりがあると思っている。

繋がり合う事は大事だけど、もたれあったり依存しすぎたり、群れすぎていては、共同作業もクリエイティブにはなっていかない。

「染め教えます」という気持ちは僕の中にまったくない。
「今やっている染めを包み隠さずオープンにします。あとはご自身で探求、発展、させてほしい。」と思っているし、もっと言えば「その探求や発展の先に見えたものを、今度は僕に教えてほしい」とも思っている。

でも、工房でやっているとどうしても僕は工房主だし、WSに来る人よりは染めている時間が長い事が多いから「先生」と「生徒」の関係を固定化しやすいような気もしている。
せっかく真剣に伝えたのに、その場だけの実践で終わってしまって、伝えた内容も忘れられていく、っていうのは、理解できるし責める気はないけど、やっぱり悲しいし、それが続くとどうしても心が疲れてくる。

味噌や鉄火味噌を皆で作っている時は、僕は場作り担当、世話係、用務員、みたいな気持ちになれるし、皆が主役!って感じになるんだけどね。このあたりは、とても微妙。

染めの文化を一緒に育んでいきたいとは思う。
その入口、きっかけを作るつもりで工房での染めWSを始めたけど、やってみて、今はそんなことを感じている。
「教えます」ではなく「一緒に染めよう」と呼びかけたい気持ちになったら、そのつど企画するくらいにしていこうと思う。
たとえば、毎年5月の蓬染めはやりたい。
みんなで河原に行って蓬を摘むのは楽しいし、みんなで蓬を炊いてその蒸気を浴びるのも、足湯をするのも、楽しい。
季節の共同作業という感じがするし「蓬が今年も育ったね」とお祝いしあえる感じも嬉しい。
大阪の中の自然を分かり合える喜びがある。

このあたりはとても微妙。
今までやってきたワークショップは全部楽しかったし、その「楽しかった!」という大きな声と「でも、引っ掛かりもあるんだよね」という小さな声も聞いていきたいということ。
今までやってきた全部が意味があり、全部の体験がギフトになって、色々な気づきをくれた。
初めて染めに触れる人達が見せる笑顔やアーティストとしての輝きを本当に美しいと思ってきた。そして同時に、その美しさにもっと貢献したいと思うからこそ、小さな違和感を大事にしたいとも思う。

これは全部感覚でしかないけど、感覚が大事だと思う。
違和感に正直に。
思考停止や感覚麻痺や感覚無視でロボットのように物を生産するのではない、手足や五感を研いで物に向き合うのが手仕事だから。

ということで、、妄想メモでしたー◎