2017年10月4日水曜日

保養と医療についての思索というか悲しみ

「風フェス」終わって、またひと波。

甲状腺検査を受けた方から主催者に連絡がはいる。
結果を受けて、検査をしたドクターが福島県内のとある病院宛に書いた紹介状が、拒絶されたとのこと。

1つ目の理由は、検査をしたドクターが総合病院勤務でないから。
このドクターは国家資格を持ったれっきとした医師なのですが。

2つめの理由は、「保養先での検査レベルでは検査と認めない」とのこと。どこの病院に行っても検査をしてくれない。だから保養プロジェクトの中で、専門医を呼んで検査をしている。しかし、その検査は検査と認められず、医師は医師と認められない。

これらを理由に「あなたのことを診察しません」と言われた人の気持ちがわかるだろうか。

こういったケースが6年間の間に山のように蓄積しているのだろう。

声なき声が、出せない悲しみが、どれだけあるのだろう。

人を救う為の医学界が、どれだけの人間に悲しい気持ちを味あわせてきたのだろうか。

業界に圧力をかけ続けている政府や原子力村の人たちは、自分たちの選択によってどれだけの人たちを命の窮地に追い込んでいるのか、分かっているのだろうか。

ある医師は、保養企画の中で甲状腺検査をしていることが理由で、「放射線学会」からの除名を勧告されている。

僕はこの検査に立ち会って、紹介状の手配や病院のリサーチをした立場として、この出来事に当事者として関わっている。

甲状腺検査の現場で、こういうことが起きている。

初めて身にしみた。

検査のスタッフをしてみて初めて分かること。

検査のベッドに横になる時に湧いて来る、なんとも言えない不安と孤立感。

それらの不安を少しでも軽減しようと努力しているスタッフ達の気遣いと思いやり。

今回検査を担当したドクターは、四国から手弁当でやってきてくれた。

ひとりひとりの思いと、具体的な行動が、簡単にはねのけられ、踏みにじられていく。

言葉にできない感情とは、こういうことを言うのだな。

・・・実名は出さない。

病院名も、医師の名前も、何も出せない。

追求も詮索も、しないでほしい。

たぶん出しても何の得にもならない。

ゴシップか、ワイドショーのように、外野から騒がれて終わるだけだ。

騒がれるだけで、手は差し伸べてもらえない。
そういう気持ちを6年間募らせてきた人たちがいる。
「助けるつもりがないなら、そっとしておいてくれ」
と言う言葉を、何度も聞いた。

そして、誰をバッシングをしたいわけでもないし、攻撃したいわけでもない。

大事にしたいのは、これらを体験したひとりひとり。

検査を受けたひとりひとり。

この場とつながる当事者である、自分を含めたひとりひとりが感じていることを、しっかり未来につないでいくこと。

被ばくから命を守りたい、と思うものたちの狭く小さな繋がりの中で、なんとかその気持ちが折れないように、支え合うしかない。

そして、僕は改めて、未来のために改憲とか安保とか消費税とか言っている人たちに
「これから起こるかも知れないことにどう対応するかより、今起こっているこれらの現状に対してどう思うのか。何か対応をするつもりがあるのか。」
を聞きたいし、その態度によって、彼らを「代議士」として信用できるかどうかを決めたいと思った。

どんないいこと言ったって、どんなに素敵な希望を語ったって、今ここにある絶望に、今ここにある嘆きに寄り添えない綺麗事は、何の薬にもならない。

今起こっていること。
今みんなが味わっていること。
それに寄り添ってこそ政治家だろう。

代議してほしい。
有権者たちが味わっていること、声に出せない声を、代わりに出してほしい。
それが、代議という仕事だろう。

混乱する政局の中、改めて、シンプルなところに立ち戻りたい。