2018年1月3日水曜日

若狭への思い (2006.04.15)

福井県南西部にある若狭湾。 

大飯原発、 
高浜原発、 
美浜原発、 
敦賀原発、 
高速増殖炉もんじゅ、 
廃炉になった転換炉ふげん。 

日本一原発が密集しているこのエリアを、2005年3月、沖縄の比嘉良丸さんと2人でまわった。 
現地の人たちと交流しながら、 全ての原発と、神社やお寺、祠や古墳、水源や龍脈、水脈、地脈などのエネルギーポイントを祈って回る旅。 

若狭湾の反原発運動の精神的支柱とも言える存在である、小浜市明通寺の住職であられる中嶌哲演さん、 30年以上前から活動をしている敦賀市の太田和子さんなどにお世話になり、色々な話を聞かせていただいた。 

今でもその時のことを思い出すと、何とも言えない想いがこみ上げてくる。 
日本海側特有の曇りの多い天気。 太田さんを始めとする皆さんの言葉の節々に感じられる、絶望感、あきらめ、疲労感。。 
町に人は少なく、山の木々も力を失っているように見える。 
そして、皮肉にも、原発が立ち並ぶ海岸はどこも、目を見張るほどに美しい。 

敦賀に住む太田和子さんは、元幼稚園の園長先生。 
「サウダーヂ」と名付けたそのお宅に、70年代、80年代には世界中から研究者からヒッピーまで押し掛けてきて、多い時には30人以上が集まる場所だったという。 
太田和子さんは、30年以上前からずっと(いまだに!)ひとりで敦賀原発の正面玄関で「美しい阿弥陀見が浜を汚さないで」というプラカードを持って立っている。 
和子さんが子供の頃に行った敦賀半島の阿弥陀見が浜。 
どこからともなく阿弥陀さまの像が流れ着いたことでそう名付けられた。 
和子さんは初めてその浜を訪ねたとき、その美しさに心を打たれ「ここは竜宮城の入り口に違いない」と確信したそうだ。 
そしてその想いは今も変わらないという。 
原発のおかげで立ち入り禁止になっているその浜を、どうにかして守りたい。 
いまだに彼女はその想いを持って、ただひとり、原発の前に立っている。 
原発の前に立てば止まるなんて思っていない。 
30年間色々なことをしたし、色々な人が助けにきたけど、その間どんどん原発は増え続けている。 
何をしたら止まるかなんて、もう分からない。 

自分自身の生きる意志を、その火を消さないように、毎日原発まで通っているんだろう、そう思った。 
その姿をただ見ている自分が情けなかった。そんな話を聞いても、何も答えられない。彼女を救うどんなアイデアも持っていない、自分の不甲斐なさを思った。 

湾のあちこちに「○○原電まで○○キロ」という標識が立っている。原電とは、今で言う原発。 
このような標識が普通に立っているこの土地で暮らす人たちの心を思う。 
見ないようにしているのか、感じないようにしているのか、何か目に見えない影のようなものが、確かにこの土地を覆い隠している。 

3日間かけて、すべての核施設を訪ねた。 
静かな海岸にそそり立つ巨大な原発が近づくたびに、頭が痛くなる。不機嫌になってくる。悲しみともいらだちともとれない、自分でもどう量っていいか分からないような感情がこみあげてくる。 
一緒に回っていた良丸さんに辛くあたる。 
原発の玄関に立つ警備員にケンカをふっかける。 
神社で祝詞を挙げる声が詰まり、涙が溢れて止まらなくなる。 
自分がぶっ壊れるかと思った。 
でもその想いは、その場を逃げたいというよりは逆に、この場所と関わり続けたい、この状況を越えたいという強い想いだった。 

若狭の地は、朝鮮とほど近く船も付きやすい場所であり、沖縄や北海道からもカヌーが行き来していたと聞いた。 
そして、日本に大和という国が出来、奈良や京都に都が出来たとき、時の支配者たちは交易や漁業で栄えるこの土地の力を恐れたという。
そして彼らは、この若狭湾に大きな寺社仏閣を立てて信仰をコントロールし、琵琶湖や街道(今もある鯖街道)を使って都への貢ぎ物をさせた。 
若狭から関西への貢ぎ物は、今、電気へと姿をかえ、今でも関西の消費電力の約50%がこの若狭湾の原発から送られている。 
また、敦賀原発のある土地は、江戸時代から被差別部落とされていた集落だそうだ。その被差別意識が、原発を受け入れる選択に踏み切らせた原因の一つであるという民俗学の教授の話を聞いた。 
原子力発電に関わるすべての土地にこのような様々な背景があるだろう。原発という目に見えるカタチの奥にある差別、分断、支配、歴史。賛成反対で解決出来る問題ではない。そのことを痛いほど感じた旅だった。 

昨年の秋、若狭湾からほど近い滋賀県朽木村で行なわれた「山水人」に参加した。 
暦のワークショップのために参加したものの、気づけば暦の話をする以外の時間は、ずっと核の話をしていた。ちなみに山水人の会場は、若狭湾の御神島、常神半島から鞍馬、貴船、吉野、天河、熊野本宮、玉置神社などをつなぐ南北のエネルギーライン上に位置する場所。そんな予備知識もあり、核を語り、暦を語ることを通じて、若狭にエネルギーを送っているつもりで過ごした1週間だった。 
そしてこの「山水人」で出会った縁を通じて、4月15日に京大西部講堂で行なわれる「六ヶ所村ラプソディー」上映やトークやライブなどをまじえたイベント(まつり?ギャザリング?)で、鎌仲ひとみさんとトークをすることになった。 

そして今日、同じく4月15日に、島根から青森県六ヶ所村まで歩くwalk9が若狭湾で祈りの時間をとると聞いた。 

4月までに若狭を訪ねたいと思っていたが、その想いはどんどん強くなり、そして今日、その想いは決定的になった。 

太田さんの家を訪ね、明通寺の哲演さんからもんじゅ裁判や美浜プルサーマルの現状についてお話を伺ったり、具体的にどのようなサポートが出来るかを聞いたり、若狭に暮らす人たちと気持ちの上でしっかりとつながっておきたい。 

今日は糸満で「六ヶ所村ラプソディー」上映です。 
若狭へ、島根へ、六ヶ所村へ、沖縄からの祈りの波が届きますように。