2018年5月27日日曜日

路上菜園と境界線のこと

家のまわりを散歩していたら見つけた路上菜園。









最近、家に鍵をかけるのが普通になって、セコムしたりもしている中で、盗まれたり、荒らされたりということへの警戒がとっても薄そうな感じを見つけて嬉しかった。

うちのばあちゃんが生きてた頃は、家の垣根からはみ出してなっていた柿や栗やみかんは、「このあたりになってるのは家の人が食べる分、このあたりのは誰でも食べていい分」というざっくりした暗黙のルールみたいなものがあって、私有物と公有物の境界線も曖昧だった暮らしが普通にあったんだと思う。

群馬の山の中っていうこともあったけど、ばあちゃんの家は鍵もしてなかったし(してないというか、垣根も低いし防御が不可能だったし)近所が顔見知りで普段から交流があったから、警戒心自体も低かったと思う。

そしてふと思ったことがある。

僕も工房の壁沿いに小さい畑を作って、野菜やハーブを育てていると、そのことが共通の話題になって、近所のおじいおばあと会話する機会ができる。

何かを育てる、何かを作るということがその場にあると、そこに関係性をつくるハブ(仲介みたいなもの)ができるのかもしれないですね。

垣根の外にせり出して、野菜を育てているこの空間に、たぶん、たくさんの会話が生まれているんじゃないだろうか。

人は現代、垣根や境界線を作ることで、ある意味での防御とか、安全を確保するようなデザインで生きているけど、そのラインを越えていく植物や動物の存在が(ペットがいると近所の人達と会話が増えるということもあるし)、人と人の間にある垣根を柔らかく溶かしてくれるのかもしれないですね。

境界線、国境、対立、共生、ここを通るたびに思索が進みそうです。