2018年5月9日水曜日

風フェスを改めて振り返ってみる

4月21日〜22日に新潟の阿賀野で行われた保養イベント「風フェス」の振り返りが途中だったので、そこに戻りますね。

振り返ることってとても大事だと思います。

消化すること。

受け止めること。

血肉にすること。

味わった感情を、リリースすること。

リリースした後に「そのような感情を抱いたということは、自分はよっぽどこのことを大事だと思っているんだな」と、自分が大事にしていることに気づく。

体験を、消費していくのではなく、消化して、栄養にしていく。

そうやって、過去を今の滋養に変えていく。

前に前にと生きていく事で、自分が本当はとっても心が動いていたのに、そのことを無視して進んでいくことで、ブレーキをかけたい自分とアクセルを踏みたい自分が葛藤する。

立ち止まって受け止めてほしい感情と、焦って前に進みたい自分は、本当は同じだったりする。

双方、不安を抱いているだけだったりする。

双方、大事にしたいものは同じだったりする。

呼吸を合わせて、受け止めて、丁寧に対処していく。

繰り返す。

反復する。

何度も聞く。

それでも前には進める。

直線的ではなく、円環を描くように。

やってみて、味わって、受け止める。

すると自然に前に足が出る。

自然に、やってみたいと思うことを、やってみる。

やってみて、味わって、受け止める。

そこで生まれる気づきが、円環を螺旋に変えていく。

そうやって、自然に、前に進む。

直線的ではなく、螺旋的に。

風フェスは今回で13回目。

僕の参加は4回目。

元々、主催している真由美さんとヤス君とは、友達だった。

数年前の夏至に、沖縄で小さな集いを持った。

名付けて「おやすみまつり」。

僕から見て「この人はガンガン動いているなー。」と思う人や「この人はいつも人のために動いてるなー。」と思う人を集めて、強制的に「止める」ということと「人に動いてもらう」ということを体験する時間を作ってみた。

夏至は太陽のエネルギーが極まって転じる時。

ボールは投げ上げられてから、ピークに至って落ちてくる時に、一瞬、止まる。

時代の転換点にいる僕たちは、時代の変化に関わる動きをしていると思われる人達は、たまに止まったほうがいい。

そう思って、招いた仲間のうちの2人が、真由美さんとヤス君だった。

誘ってよかったと、本当に思った。

毎回のごはんを作ってもらうこと。

ネットもつながらないし、仕事道具もないから、とにかく休むしかない、という環境。

リトリートという取り組みは広まってきているけど、けっこうそのプログラムの中には「すること」が詰まっていたりする事も少なくないと感じる。

「すること」を外すことは、難しいよね。

保養の取り組みの中でも、数泊するプログラムの中に、イベントや催しを詰めてしまう場合がある。

ゆっくりしに来た参加者が、逆に疲れちゃう、みたいな。

何もすることが無い時に、シンプルに、呼吸することや、「ここにいること」につながるスペースが生まれるんだと思う。

なにかをすることで存在価値を得るのではなく、ただ居るだけで存在を認められる関係性。

何かをすると褒められたり、何かをしないとそこに居てはいけないのではないかと感じてしまう、不思議な関係性が世界に広がっている。

うまくできると存在価値が上がり、うまく出来ないと存在価値が下がるという幻想。

やってることを評価し合うことが、行き過ぎて、止まれなくなっている。

止まることは勇気がいる。

だからこそ、みんなを誘って止まってみた。

おかげで、二人の思っていること、感じてきたことを、たくさん聞けた。

止まると、動きが見える。

止まることで、相手が見える。

相手の振動が聞こえる。

自分が動きながら、人の動きを捉えるのは、遊園地のコーヒーカップに乗りながら隣のコーヒーカップを観察するようなものかもしれないなと思う。

止まって、耳を澄ませること、もっとしたいなと、あの夏至にとても強く思った。

保養の主催者をやっていると、人の気持ちを受け止めることばかりで、自分の気持ちを受け止めてもらう機会が少なくなるってことが起こりやすいのかもしれないなと思った。

保養だけじゃないね。

活動家の孤独、政治家の孤独、についても同じことが言えるかもしれない。

なので、二人を誘って一緒にゆっくりする時間を取ることを、その後も続けることにした。

で、その延長線上に今がある。

僕は海旅キャンプという保養活動の主催を仲間とやっている。

だからと言って、他の保養に関わってはいけないということはないし、むしろ、関わり合って、交流し合って、話を聞き合う事は、今後長い目で日本の保養文化を捉えた時に、すごく大事なことなんじゃないかなと思ったりする。

実際、海旅キャンプにも、三重や岐阜や愛知で保養活動に関わっている人が来てくれているし。

そう。

とにかく僕は、保養活動をやっている身だからこそ聞けること、支えられる事があると思った。

風フェスに関わろうと思った理由の一番は、とにかく二人の心に耳を傾ける存在としてそこにいたかったから。

何をしたいというよりも、そのような存在としてそこに在りたいと思った。

そして、その土台の上で、現場に立って出来ることをしたいと思った。

経験を積みたいし、人としての幅を広げたいし、心身を鍛えたいとも思ったし、色んな人と出会って学びを得たいと思った。

・・・なぜそんなことを長々と書いているかと言うと、今回の、13回目の風フェスは今まで一番参加者が少なかったということについて書きたかったから。

そのことをネガティブにも取れるけど、僕はとても有意義な時間を得ることが出来たと思っている。

スタッフ同志がゆっくり話せたり、食事のレシピや、「なぜそれを作っているか」を聞き合う時間が取れたし、スタッフと参加者とドクターと看護師が垣根を越えて語り合う茶会も開けた。

大学生と小一時間じっくり話す時間が取れたのも、そのおかげがあると思う。

12って数字は、平面的な円環を等分にするのに美しい数字。時計みたいに。

13は12+1。円環を螺旋化するためのプラスワン。

今までを振り返り、今を味わい、今ここにいるお互いと繋がり合う時間。

そういう時間が持てたことの有り難さは、これから先の新たな円環を支える血肉になると思う。

風フェスの翌々日には、スタッフ同志の慰労と振り返りも兼ねて、茜染めをしながら1日を過ごした。

その翌日は「聞く」というテーマの対話のワークショップに、風フェスのスタッフもたくさん参加してくれた。

少しずつ、保養活動と日常の境界線がなくなり、保養活動に関わっている人とそうでない人の垣根がなくなっていけばいいな。

そんな兆しを感じる時間でした。

来月、間もなく夏至ですね。

極まって転じる。

止まること。

難しければ歩くこと、かな。

少し止まる=歩く。

歩く速度で。

大切なことはカタツムリの速さで進む。


写真は、風フェスに参加するとは夢にも思っていなかった頃の、新潟での茜染めWSの様子。思えばこの頃から、お互いの存在を受け止め合う関係が始まっていたんだな。